山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年7月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんからの投稿
学生時代は保険健康センターだったと思うが、毎年健康診断を受けていた記憶がある。
また、学生健康保険のようなものがあってか、歯医者で治療しても、後から治療費の還付等があった。
卒業前には”全くの健康体!”で湯田温泉の駅から東京へ出発していったように記憶している。(就職にあたっての健康診断は済生会山口総合病院で受けた)
社会人になると職場に検診車が来る。35歳を境に人間ドックと言った検診を健診機関で受けるようになった。
◆健康診断における大人の階段 4つ
①先ず人間ドックで大人の階段を一段上ったなと感じたのは、胃のレントゲン撮影。
あの白い重い液体”バリューム”!口から流し込み、映像を鮮明に映す為、発泡剤
も併せ飲む。ゲップに堪え、レントゲン技師の指示による検診台の上で、自らの動き、結果としては、まるで回転ベッドにいるように動くことだ。
先ず三回転、一方向に回ることぐらいは出来る。その内、右だ左だ、仰向けだうつ伏せだ…段々頭の中は混乱して、右はどっち?左はどっち?仰向けって?うつ伏せって?となる。その頃になると押し殺していたゲップは意識しなくとも小さなものが発生、又、漏れたりする。そうすると、レントゲン技師の「追いバリューム」の指示が来る。口の周りは、既に初回のバリュームで白くなり、若干固まり始めていたりする。そこにさらに「追いバリューム」だ。やはり大人の階段は、たかが一杯、されど重く、甘美な甘さがある。(30年の年月の中で、今は大層飲みやすい液体になっている)
結論!このレントゲン技師の指示に対応しながら、胃のレントゲン撮影が出来る限り、ある意味”健康体ですよ!”と自ら宣言したくなるくらいハードなものだ。
②そんな経験を重ねていくと、「慢性胃炎ですね、また少し胃に影がある」、病院での精密検査を進められる「要検査」の指摘が来る。
当時は子供も小さかったし、まだまだ間違っても健康を害してはいけないと用心の方が先立ち、素直に胃カメラ検診を受診する運びとなる。
胃カメラが上手との誉れ高い病院に行くと、先生は胃カメラの心得を先ず説いてくれる。
そのこころは「これからも何度も胃カメラを受ける機会はあるでしょう。そうした時、最初の胃カメラでひどく違和感を持ってしまうと次の胃カメラが飲めなくなります。
出来れば、注射による全身麻酔で楽に胃カメラを受けられませんか?」もう、俎板の鯉、極端な話、先生が南極に行けと言われれば、南極へ、北極に行けと言われれば、北極にの状態((笑))「お任せします」
しかし、今の医療では、インフォームドコンセントで同意書に署名を求められる。ここでサインにすることに躊躇はない。
麻酔が効き始めながら、胃カメラの細い管の異物が少し口のなかを入っていく、
そしてその映像を確認しながら、食道の入口に到着する前から、きっと虫の息でなく、深い眠りに誘われ、落ち込んでしまい、記憶は飛んでいく。
『光る壁』など小説で読んでいた技術的なことより、現実の自分のことになると、その眠りの深さの方が驚きだ。
胃カメラの撮影がすべて終わって、看護師さんから声をかけてもらっても、何かうわの空・・・眠りから覚めていない。「もう少し、休んでいったらいいですよ」の先生の声すら眠り唄になる状態。それから小一時間は熟睡。
きっと病院側からすると、睡眠ベッド、延長料金戴きます!の状態であったのだろう。
③従来成人病と言っていたのを”生活習慣病”と名付けた聖路加病院の日野原先生は偉い。
つまり、ある不健康な生活を継続していると、習慣となり不健康な状態が累積されていく。そして、その末路は”生活習慣病”に繋がる。
CTへの検査へとなるのもそんなに時間を要さない。つまり、影にもなお怪しいものが写ってしまうことがある。そうなると人間の体の映像を輪切りにして、その映像を立体的に再生して、その映像から病状を細かく見ることになる。
この辺までくると”立派な大人の健康診断”だ。肺にも影・・・闇は深まっていく。
三人に一人が癌と言っていたのが、二人に一人が癌の時代。影があると言われると自覚症状が全くなくとも医者の進言は金言になる。
姿勢としては「先生、お願いします」に変わっている。
④頭部の検診
①~③がある意味強制された健康診断だとすると④の段階のMRIによる頭部の検診(脳ドック)は自ら希望して検査をするようになる。
2022年の推計で65歳以上の認知症の発症率は12%、軽度の認知症障害は16%と言い、認知症にかかわる症状が、両者併せて、大きく丸めるとまた三人に一人となる。
加齢に伴う物忘れなのか?認知症による物忘れなのか?この二つの区分の厄介なのは、物忘れの自覚があることと物忘れの自覚があること自体忘れているかによる区分だという。ちょっとした禅問答になっていないか?
何れにせよ、心配なら自ら検診を受けなさいと督促されているようにすら感じられる。
加齢自身は決して憂うべきことでない。”一つ年が大きくなったら、一つだけ賢く成ればいい”と昔勤務していた工場長の名言、ある意味これを支えに加齢受け入れてきたと言ってもいいくらいの応援の言葉であった。
しかし、加齢は自分に否応なしに”物忘れ”を連れてくる。
レ・ミゼラブル!(あゝ無情!)
先日MRIで撮影された映像に基づく医師の判断は「年齢の割には脳の萎縮はありませんね。また、脳の血管の方も今のところ問題はありません」一安心、一安心。
さらに先生はリップサービスも含めてか、「僕の脳の映像なんかより、まだ状態はいいですよ」とも・・・(笑)
願わくば、先生の映像も是非比較し、味わいながら、検証したい!(笑)
「年齢相応…、何でも長年使っていたら、少しは調子が悪くなるところはあるでしょう。だからしんぱいごむよう(「心配ご無用」)」とくる。先生、本当に大丈夫ですか?と詰問すらしたくなるくらいだ。
①~③までの階段はまだまだ明るく筆が進む。しかし、④の階段になるとその筆の運びは少し重くなる。
これまで偶々ではあるが、検査以外では診療台に登ったことがない。
これは先ずは健康で丈夫な体に生んでくれた両親に感謝、そして、人生の2/3を共に生活し、日々の食を通して健康管理をしてくれているカミさんには感謝しかない。
若い頃の暴飲、暴食も影響し、職場で健康診断を始めて頃に比べ、体重は20㎏あまり増量した。されど、大きな病気はしていない。
勿論、自分自身は病気の兆候を怖がらない。大人の階段を上る中で、もし病気になりかけていても、未病の状態でも積極的に検査を受ける。それぞれに必要な処置をすると好転することを知っている自分がいる。
(岡山B)