塩塚さんの思い出

山口在住 香原詩彦氏(有限会社ラグタイム代表取締役、1971年山大経済入学)からの投稿

好きな音楽を仕事にした山口県で数少ないプロモーターで、2023年6月30日、エフエム山口 ラジオ放送「山口大学大人ウォーク~今宵は山大」に出演した。

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

 1971年に北九州から山口大学に入った頃、教養部一番教室の屋上ベランダで黒いヘルメットを被り、アジっている男が居た。その後長いお付き合いになるとは思ってもいなかった「塩塚保」さん(注)であった。彼と知り合ったのはその翌年、彼が結成した「アップルハウス」というグループが『唄の市』というコンサートを、完成したばかりの山口市民会館で開催し超満員にした頃からと記憶する。(『唄の市』とは泉谷しげる、ケメ、古井戸etc.が参加するエレックレコードの企画イベント)

(注)塩塚保氏:本年3月まで鳳陽会東京支部長

その翌年アップルハウスは経済講堂にて『日本版ヘアー』というミュージカルを企画。余程の人材不足なのか僕も誘われるままに出演、生の演奏を交えたお芝居で勿論主演は塩塚さん。このイベントは後日「平凡パンチ」の1ページまるまる使って『山口にて「日本版ヘアー」上演!』という全国ニュースにもなってしまった。

この頃は「黒テント」や「曲馬館」等アングラ演劇の波も山口に押し寄せる時代であり山口大学演劇部も随分と影響を受け、活発な活動を実践していた。そして塩塚さんも僕も演劇部の連中と仲良くなっていった。演劇部の有志が1977年に『飛行舎』というライブ喫茶を開店し僕も開店準備から少し手伝った記憶があり、オープニングのライブとして「南正人」を招聘して一層深い付き合いとなったのだが、実はこの店の開店資金は塩塚さんが出資したという事実は3年ほど前に初めて本人から聞いた。

*3年前、アーケードを一緒に歩いていて、そんな話や「鳳陽寮」の事、バイト先の「モリイケ」(文房具)「山陰堂」(外郎)での事なども聞かされた。

*「僕は学生起業家の先駆けだよ!」と笑っていたのが印象的だった。

その後塩塚氏とは音信不通であったが6~7年前頃から学部の特別授業や「鳳陽会東京支部」の支部長として山口に来た時は昔の演劇仲間、学生運動仲間らと共に一夜の再会を喜んでいた。ここ5年ほど、僕が(学生時代に暮した)竪小路の町おこしイベントを企画し塩塚さんもサイドから支援して頂いていた。毎年資金面で苦労するこのイベントであるが(今年が最後と思いつつ)開催を決意し、塩塚さんを想い浮かべようと思う。

@「たてこうじ音楽祭〜まちなみアート」〜塩塚保氏を偲んで〜

@2026年11月21日〜22日(築山跡史跡公園と竪小路界隈にて)

宜しければご参加ください!

(翌23日は八坂神社をスタートとした、伝統ある『天神祭』があります。)

学生時代の塩塚保さん(1970年山大経済入学)

令和8年度東京支部総会を開催

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

◆6月6日(土)、12:30からアルカディア市ヶ谷 私学会館で令和8年度・年次総会を開催しました。

今年もこの会場、この部屋  アルカディア市ヶ谷・富士の間
受付役を買って出てくれました

今回は3期の長富武支先輩から春に卒業した新卒・74期の坂井陽一君まで総勢66名が集いました。

(当日急遽駆けつけて頂いた方が2名。事務局としては嬉しい限り)

来賓として本年4月から経済学部長に選任された古賀大介教授の他、防長倶楽部の丸田直久事務局長、鴻理会(理学部)の深谷純子事務局長、青山会(獣医学部)の深町輝康会長にお越し頂き、代表として古賀経済学部長から学内の現状を踏まえたスピーチを頂きました。

主賓・古賀経済学部長のごあいさつ

◆総会の部

①支部長選任

今回の総会は本年3月に塩塚支部長が急逝したため、先ず新支部長の選出から始まりました。

新支部長は規約により、合同幹事会での推挙された者という要件があるため、4月5日の緊急臨時合同幹事会(役員会)で内諾を得た葛見雅之事務局長(23期)が新支部長に選任されました。

また、葛見事務局長の後任には29期の吉田佳司常任幹事(29期)が選出されました。

新支部長と新事務局長の選出

②事務所移転

長年財政赤字問題と取り組んできましたが、支出の最大の固定費である家賃負担の軽減を図るため事務所をシェアオフィス(共同事務所)へ移転することにしました。

これまで家賃負担は月10万円ほどでしたが、移転により、2万円程度の負担に抑えることができるようになりました。

また、事務所の移転によりこれまで掛かっていた電気代・水道代・複合機リース料、通信費も支払う必要がなくなり、家賃も含めた年間の支出削減効果は120万円ほどになることが見込まれます。

他方、これまでのように事務所で行っていた役員会などの各種会議はシェアオフィス内で開催でき(有料:10分100円)、10名を超える比較的大きな規模の会合は事務所がある港区内の公共施設(3時間千円程度と格安)を使うことにします。

新事務所外観 所在地の最寄り駅は大江戸線赤羽橋駅。旧事務所に比べ、東京タワーに一段と近づくことに
シェアオフィスの中 固有スペースはないが、水道光熱費、通信費、コピー料金は無料、飲み物サーバー付きで家賃は低廉。

③規約改正

事務所所在地の変更は総会の決議事項であるため、事務所移転の規約改正を行い、承認を得ました。

また、規約改正にあたっては、これまで見直しが行われていなかったため、実態を必ずしも反映したものとなっておらず、今回実態に即した改定を行いました。

具体的には、現在行っている事業内容の明確化、年会費の明示、事務局長職の規定と役割の明確化、役員体制の見直しなどです。

④令和8年度予算案

事務所の移転費用が本年度(4月)に発生したため、移転の効果は本年度の予算では必ずしも明確ではありませんが、来年の令和9年度予算から事務所移転による効果が明確に表れるほか、本部からの支部支援金(注)10万円強が支給されるため、財政赤字の解消が見込まれます。

(注)東京支部の会員が山口の本部に納入した年会費(3千円)のうち、3割相当分が本年度から支部支援金として復活支給されることになりました。

今年度も人件費は3割カットを継続しますが、財政状況を勘案しながら、新たな交流会や勉強会の立上げ・運営など、活動を活発化させたいと考えており、余力のある方はご厚志を頂戴できればありがたく思います。

⑤役員改選

副支部長クラスでは19期の髙木監事、22期・田中敬一郎副支部長、23期・小林進副支部長が退任、新たな副支部長に40期・山口勝裕常任幹事、50期・飯泉天志さんが選出されました。

また常任幹事では、10期・河野禮二さん、17期・鹿毛明さんが退任され、新任に52期・山口範子さん、64期・窪井耕さん、73期・王凱莉さんが選出されました。

このように、若手や女性に活躍頂くことで会を活性化させたいと考えています。

◆懇親会の部

懇親会は鳳陽会本部理事長の松永昭博・東京支部顧問の乾杯で始まりました。

松永東京支部顧問(本部理事長) 乾杯前のごあいさつ

◇会食・懇談の途中で副支部長を退任される22期・田中敬一郎さんから退任幹部を代表してスピーチを頂きました。

退任役員を代表22期・田中敬一郎さんのごあいさつ

続いて新たに副支部長に就任した40期の山口勝裕さんと新たに常任幹事に着任した王凱莉さんから就任挨拶がありました。

◇今回は円卓を縦3列、横3列の9卓配置し、期別に着席して頂くようにしました。

以下は各テーブルの集合写真です。

右端から3期長富先輩、6期の井上・山中両先輩、8期大草先輩、中尾監事
左端は司会を務めた大加瀬新副支部長
来賓席の皆さま
22期の皆様
28期の林さんを囲んで。周りは23期の皆さま

会場の中央の卓には古賀先生のゼミ生に集まってもらっており、頃合いを見計って60期以降7名の若手会員から自己紹介とショートスピーチがありました。

若手の皆さんの自己紹介とショートスピーチ

席に戻って古賀先生と乾杯

古賀先生と古賀チルドレン

先輩方からのビールも待っていました。

◇また、昨年から鳳陽会寄付講座の講師を務めており、大阪から参加された52期の大裏宙さんから寄付講座の概要について説明がありました。

鳳陽会寄付講座講師・52期大裏さんのスピーチ

◇じゃんけん大会

40期・山口副支部長が担当したじゃんけん大会。

各テーブル2名の勝者18名が山口の有名高級銘酒などを手にし、松永理事長から頂いた新潟の銘酒「鶴齢」、山口大学発の酒「長州学舎」、このほか寄贈があった仏ボルドーワイン、イタりー白ワイン、国産白ワインなども景品の対象となりました。

◇校歌・寮歌

山口大学学生歌、鳳陽寮寮歌、山都逍遙歌の3曲を、来賓の皆さんも法被を着、全員総立ちで高唱した。

壇上で歌をリードしたのはメンネルコール部に在籍した23期の町田秀雄さん。

中央が23期・町田さん(メンネルコール部に在籍)
ムードは上げ潮!
一体感に包まれる会場
ご来賓の皆様も法被を着ての校歌・寮歌高唱

やはり、会の最後を締めくくりのイベントで、会場が一体感に包まれるのがこの時。

会場のオーディオで校歌のCD操作を担当したのが、ソニーミュージックに新社会人として入社した坂井陽一君でした。

◇集合写真

来年もお会いできますように!

◇万歳三唱

記念撮影の後、万歳三唱の音頭を取っていただいたのは、13期の松本孝亮先輩。

中央が13期・松本先輩

まだまだお元気で、鳳陽会ゴルフ会には欠かさず参加されている。

来年もお会いしましょうと万歳三唱を唱えられました。

お開きになり、帰り際には山口の銘菓が配られました。

お土産は山口の銘菓

◆二次会

古賀経済学部長にも1時間だけお時間を頂戴し、二次会へ。

古賀先生の他にも来賓の皆さんや古賀ゼミの皆さんも会場へ来ていただきました。

梅雨前の夕刻のひと時。

老いも若きも入り混じって、山口時代の話に花が咲き、最近の話題、同窓会の在り方についても話が尽きず、あっという間に制限時間となりました。

(事務局)

ある時、突然の就職指導教官の来訪

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆今の基準でいくと就職活動における「6月1日」は、政府や経団連が定める「採用選考活動(面接・試験)の解禁日」だ。だから、今は佳境を呈しているかもしれない。

ある時勤務先に就職指導教官の方がご挨拶に訪れた。まだ新人だった頃、目の前のハエを追うのにも一生懸命の段階。先生が帰る間際になってそのことに気が付いた。

事務所フロアーのエレベータの前で、深々と何度も頭を下げられ、丁寧には丁寧を重ねられた。そして、やっと踵を返された、ある就職指導教官の先生の姿を目にした。

◆別件、ある時鳳陽会の先輩で、かつ高校の同窓の方の紹介でその仲間と杯を囲む席に参加したことがある。その席には大手生命保険会社で取締役も経験された方がいた。その方は法学部出身、法律系の科目取得に困難を極めた自分は問うた。

「法学を学ばれて良かったことは何ですか?」と。その先輩は答えて曰く「いろいろ厳密な定義を持って考えるようになった。そして、議論としては比較的緻密な議論が出来るようになった」と。

勤務先をご訪問戴いた就職指導教官は法律系の教官。

自分が学生時代知っている先生は学者の中の学者という気高い雰囲気さえ持ていた方だった。その去り際の所作はある意味驚きがあった。

就職間もない卒業生の為に、そして、今後お世話になる学生の為に頭を八重に下げられていたのだ。

◆僕が就職した翌年、会社訪問することとなった一期後輩の就職希望の学生は大変優秀だった。

二人とも会社としては内定を出したが、就職には至らなかった。

”文武両道”の経済学部、”文”の彼は大学教授になり、”武”の彼は、地元の電力会社で営業の世界でタフガイとして活躍をされた。

就職には至らなかったにもかかわらず、その二人のおかげで、採用実績もほとんどなかった企業でも翌年には新たに「指定校」の採用枠を獲得した。さらに今までは嘴の青いひな鳥が一匹で帰っていたのが、翌年のリクルーティングにはその地域の事務部門の総括、業務部長と同行して、母校を訪問することとなった。

◆そんな新たな時代、新たな一歩を築いた、恩師(就職指導教官を中心に)、学生がいたことを是非今の学生さんにも知ってもらいたい。

古典が常に古いから古典であるのでなく、今に生きる価値があるから輝きを失わない古典となりうるのだ。

働く場において、社会において、 士魂商才の校訓の精神を如何なく発揮し続けてほしいと願うアラシックス(60代)です。

(岡山 B)

三人の財界巨人 その6 藤田伝三郎⑤

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

◆木戸孝允との出会い

前稿で述べたように、伝三郎は二十才を過ぎる頃に分家の醸造屋を再興させるが、時は尊王攘夷の機運が高まっており、「高杉晋作に師事し」(藤田翁言行録)とあるように、「正義派」の高杉晋作を支援し、禁門の変にも参加している。

自分の身の振り方を考え、公に尽くしたいと官吏の道に入ることも考え、明治の初めに同郷の木戸孝允のもとを訪ねている。

この時の木戸のことば・・・「開国が決まり、これからは富国強兵に向かう時。強兵には成算があるが、有為な実業経験者による商工業の発展がなければ国の前途は不安だ・・・」

これに伝三郎は反応する。

伝三郎は木戸に出会い、商工業の発展に尽くす思いを固めたとされる。

そのためには海外の実情を視察しなければ・・・こうした思いが伝三郎に芽生えた。

◆夢見た欧州視察・・・

明治2年、伝三郎が27才の時に萩を見限り、大阪へ出る。

伝三郎の夢は欧州へ渡航し、現地の商工業の実情を学ぶことだ。

たまたま大阪で欧州行きの船を待っていたが、どうしたわけか大阪から船が出なかったという。

渡航する機会を伺ううちに、親元から手紙で呼び戻され、萩に戻ることになる。

伝三郎が戻った故郷・長州では、藩の陸軍局が廃止されたことから、不要になった大砲、銃器、弾丸などの払い下げを受ける機会に恵まれた。

この軍関係の物資を再び大阪へ売却しに行く機会ができたのだ。

これが伝三郎28才の時。

大阪で武器をすべて売り払い、資金を用意して欧州渡航の準備をしていたが、またも船が出なかったという。

日本で最初に欧米へ産業視察に渡ったのが大倉喜八郎で、明治5年のこと。

伝三郎は喜八郎の3年前に欧州の実情視察を目論んでおり、この面でも両者は、似た者同士といえる。

◆大阪の変貌

伝三郎が大阪に居ついた要因として、東京では同郷の長州人が多いので面倒見なければならず、煩わしかったという伝三郎の言葉が残っている。

維新後は確かに江戸期からの蔵屋敷が廃止され、40万の人口が3割方減ったものの、大阪は大阪で街の風貌が変わっていった。

明治4(1871)年に造幣寮(現造幣局)、造兵司(のちの陸軍造兵廠)などの官営施設が設置されると金属・機械・化学などの工業が興り、港や鉄道も便利になり、大阪は魅力に満ちた新天地と化した。

伝三郎にとって大阪は東京と違い、誰にも邪魔されず自由闊達に商売ができる地となった。

この大阪で、薩摩の五代友厚が初代会頭となった大阪商法会議所(後の商工会議所)で、伝三郎は二代目会頭となる快挙を成し遂げる。

(学23期kz)

造幣局旧正門
大阪陸軍造兵廠跡

随筆 横目で眺めた経済学 27・経済政策の効果 ②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年6月 トピックス】

◆政策効果の見定め

経済状況が思わしくない時には経済対策が講じられる。

ここで問題となるのは、ある政策が講じられれば、確実に政策効果が生じるのかということだ。

経済対策の効果を図ることは難しい

Aの政策発動と結果の事象B。

ここにはいくつもの要因が、独立にではなく、互いに影響を受けながらある結果が生じている。

10年前に、Aという政策で望ましい結果が出たとして、今回は同じ結果がもたらされるか否か、全くもって不明確だ。

政策の効果は、予想を外れ、望ましい効果を伴わないことも往々にしてある。

◆経済対策を打つべきではない時でも、政策が打たれる時がある。

例えば、昨今いわれているインフレ下での経済対策。

景気対策を講じればインフレが昂進することになる。

しかし、対策を打たないと、あるいは打った格好にしないと、政権が持たない場合がそれにあたる。

すなわち政治主導での景気対策がそれだ。

◆こうした施策の積み上がりが日本の政府債務の累増を招き、政府の長期債務残高がG7の中で突出して高くなった要因にもなっているのではないか。

円安が是正されないのは、積極財政に伴う財政悪化が金利上昇をもたらし、インフレを加速させるという思惑があるからかもしれない。

経済学的にはある施策に正当性があっても、政治的な判断から別の判断が下されることが往々にしてある。

選挙が多い国、連立政権が続いた時には財政赤字が膨らむ要因になることは財政学の世界で指摘されている。

つづく

(学23期kz)

出展:財務省
出展:財務省

「朝活」が大切!

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【20266月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆今いろいろな分野で「朝活」が大切だと言われている。
  では朝活とは?
始業時前や出勤前の時間を活用、勉強、運動、趣味などの自己研鑽に取り組む
活動だ。

眠気との闘いはありながら、脳が最も冴えている朝の時間を有効に活用し、集中

力を高め、心身のリフレッシュや生活リズムの改善効果がある。

( 嘗ては九州地区の高校において実施されていた朝課外(あさかがい)とは、
少し性質を異にする。しかし、朝一番の1時間、30分は貴重だ。
因みにその呼び名はいろいろあって、1時限目の授業前に行われることから、
「0時限目」、「朝学習」、「朝補習」、「朝特課」、「早朝講座」、「朝活動」
と言われていたようだ。九州出身者も多かった山口においては、ああ、そうそうと

頷いて戴ける方もいるかもしれない。

◆朝課外はほぼ60年位前から九州地域における”形を変えた一つの朝活”の取組みの

ようだ。

(ただ時代の趨勢か、教師の過重労働、働き改革の波でかなり見直しがされ、廃止

された県や実施校が減っているようにも聞く)

5月27日の朝のニュースでは東京六大学の一角、東大野球部の朝活が紹介された。
欠伸(あくび)がついつい出てしまう早朝練習、それぞれ各自が自分の体調を整える

ストレッチをしている中・・・そんな空気を断ち切るように、”密っ集~!”の掛け声

その掛け声とともに部員みんなが円陣を組むために集まってくる。

その日番(当日の担当)の人は、円陣の中で口火を切る。

「何々とかけて、何々と説く、(周りはその頓智の効いた答えと期待して:ウォ~~)

そのこころは?」

と言う言葉遊びの一つ、”謎かけ”で眠っている頭に活!そして、朝を告げる!

これが「朝活」となる。

そのこころの ”?” をみんなで楽しむ。

◆朝活によって、チーム力がアップするのか、高校野球界で活躍した選手をセレクション

などの方法で集めている強豪の集団、六大学の野球部から勝ち点などを取ったりもする。

東京大学野球部は、この5月9日・10日に法政大戦で2連勝を飾り、2017年秋以来とな

る”9年ぶり”の勝ち点を獲得した。  

一昔前のスポーツにおいては、ともすれば、黙々と頑張ることに価値を置かれがちだ。

80年代社会人になった時、勤務先に野球部があった。ほぼ新入社員は問答無用で入部。

シーズン前の春には1泊2日のプチキャンプを組み、朝夕練習。昼間は練習試合をした。

練習中に笑ったりすると「真面目にやれ!」って言う声が飛んでくる位、真剣だった。

日頃はデスクワーク、 若いとはいえ、あまりスポーツをやっていなかったので筋肉痛と

の戦いでもあった2日間。

「もし・・・ならば」と言う仮説のところに・・・⇒「朝活」を活用していたならば…

あるレベルまで練習を積んで、「楽しむ」ということが加わると、新たな境地を開くのかも

しれない。

(当時博多で所属していた社会人リーグでの戦績は、真ん中ぐらいの順位であったと思う。)

会社員生活・現役を引退してから始めた朝の散歩、これを継続している。ここいらで新しい

自分なりの「朝活」加えることにより、新たなページを開くことが出来るかもしれない。

「散歩」は“心を豊かにする”、そして、一味足して「ウォーキング」にすると“身体を鍛える”と

いった考え方もある。

(岡山B)

東京の観光公式サイト GO TOKYO

6/6(土)総会開始時間は12:30分に繰上げ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【20266月 トピックス】

◆6月6日(土曜)の支部総会は、以前文書でのご案内で

12:30受付開始

13:00支部総会・懇親会

とご案内していましたが、役員の改選、規約改正、財政赤字問題の抜本解消策などの説明に時間を要するため、

開始30分時間を繰り上げ、

12:00受付開始

12:30支部総会

13:30懇親会

と致します。

間近になって開催時間が変更になったことをお詫び申し上げ、何卒ご理解頂きますようお願い申し上げます。

事務局長 葛見雅之

三人の財界巨人 その5 藤田伝三郎④

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年5月 トピックス】

◆振り出しは家業の醸造業

商家の4男に生まれた伝三郎。

16歳で家業の醸造業(酒・味噌)に従事するも、18歳の時に父が死去。

この時、伝三郎は家業を兄の鹿太郎に任せ、後継ぎがいなくなった分家の事業(やはり醸造業)の再興を願う母の望みに沿う形で分家の事業再興に取り掛かる。

醸造方法の研究をし、各種の改良を加えることにより、3年後の文久3(1863)年、伝三郎が23歳の時に事業は黒字化し、分家の事業再興を果たしている。

◆長州の内憂外患

伝三郎が分家再興を果たした時とは文久3(1863)年。

この年を含めた一両年は長州藩の運命の岐路となった大変な事件が立て続けに起きた時期にあたる。

長州藩内では幕府に対する姿勢で、これまで革新派(正義派)と保守派(恭順派または「俗論派」)が主導権争いをしてきた。

この年には保守派が藩内を掌握していたが、そうした中、攘夷決行の勅令に基づき、長州藩が外国船籍を攻撃し、下関戦争が始まる。

しかし宮廷内では急進派長州藩に手を焼く会津・薩摩の両藩が京から長州藩の締め出しにかかる。

長州はこれに対し反発し、京での復権を狙う。

翌年には新選組による長州藩士の討伐事件が起こり、これを契機に長州藩兵が京に上り、禁門の変が起きる。

これで長州藩は朝廷に弓を引いた形になった。

◆禁門の変の直後、攻撃を受けた四国連合艦隊が長州を攻撃し、長州は内憂外患の状態に陥る。

こうした中、幕府は長州征伐に乗り出し、長州藩内では高杉晋作などの急進派が追われることになる。

高杉は場合によっては追われる危ない身でありながらでも、連合艦隊との講和交渉役に抜擢される。

何とか交渉を乗り切りながら、藩での革新派の失地回復を図り、ゆくゆくは倒幕へ向けて、功山寺で挙兵した。

◆伝三郎と奇兵隊

藤田伝三郎は商人ながら、攘夷思想を有し、こうした革新派(「正義派」)に賛意を示し、京にも上り参戦している(藤田翁言行録―注)

伝三郎は「奇兵隊では良く働いた」と語っているが、どうやらその功績が認められなかったようだ。

これに不満を持ったたことも、伝三郎が大阪へ向かった要因のようだ。

伝三郎は醸造業だけではなく、掛屋(金貸し)も営み、資金的には潤っていたようで、奇兵隊への貢献としては、資金の寄付もしていたようだ。

しかし、伝三郎の奇兵隊への寄与にし方は下関の豪商・白石正一郎とは異なる。

伝三郎の奇兵隊への寄与は大きくはなく、奇兵隊の名簿にも藤田伝三郎の名は載っていないという。

しかし、藤田伝三郎の奇兵隊を契機とする軍閥との縁や官界長州閥とのつながりは、伝三郎の大阪での事業の成功に後々、大きな影響を及ぼすことになる。

注)藤田翁言行録とは-三井銀行大阪支店長当時、藤田伝三郎に呼ばれ北浜銀行頭取になった岩下清周がまとめた藤田伝三郎伝

(学23期kz)

参考

【出来事メモ】

◆【文久3(1863)年】

・3月

孝明天皇と徳川家茂が会見、幕府は攘夷を確約

・5月10日

攘夷実行期限にあたり孝明天皇から書簡(宸翰・しんかん)が発せられる。

・同日

長州藩では勅命どおり直ちに攘夷を決行。関門海峡を通りかかった米国船(商船)を砲撃

【翌日5月11日には長州ファイブが英国へ出発(密航にあたる)】

・6月3日

高杉が下関の豪商・白石正一郎邸で奇兵隊を結成。

・8月18日の政変

会津・薩摩の両藩による攘夷急進派の排除工作が奏功し、孝明天皇が宮廷から反幕急進派の公家や長州藩を宮廷から退去を命ず。

・8月19日

三条実美ら七卿が都落ち。

・10月には奇兵隊を除く遊撃隊が結成。京での巻き返しを狙う。

・秋口から翌年にかけて

攘夷派の動きが活発化。これに対し幕府は攘夷派排除・鎮圧へ。

◆【翌元治元(1864)年】

・3月27日

水戸藩で攘夷派の天狗党の乱が勃発。

・6月5日

池田屋事件。新選組が池田屋で会合中の長州藩士や攘夷派の志士を襲撃。

・池田屋事件を機に長州藩兵が京都へ。

・7月19日

禁門の変。 2時間で長州藩側が敗北。

・7月23日

 第1次長州征伐。

・8月5日

四国連合艦隊からの報復攻撃あり。

・8月8日

高杉晋作が連合艦隊と和平交渉。

・11月11日

長州藩の三家老・四参謀の斬首、山口城の破却で幕府に恭順。

高杉も追われ九州へ逃走、また井上馨も恭順派に襲われ瀕死の重傷。

・12月15日

高杉晋作の功山寺挙兵

藩内の恭順派制圧と倒幕を睨む。

・翌年3月

高杉の反幕急進派、長州藩の主導権掌握

奇兵隊

随筆 横目で眺めた経済学 26・経済対策の効果 ①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年5月 トピックス】

◆景気対策

世論調査の中で、最も関心が高いのが経済問題だ。

その中でも景気対策を求める声が多い。

一般的にマクロの景気対策では財政政策や金融政策が用いられる。

財政政策か、金融政策か。

あるいは両方か。

◆教科書的に言えば・・・

景気過熱を抑えるには財政政策を用いるより、金利の引き上げが有効だとされる。

利上げだ。

しかし、状況による。

景気が過熱しても、カネ余りで企業がキャッシュリッチな状態にある時には、利上げをしても効果は薄いことになる。

逆に、景気が悪い時には財政で景気浮揚を図るのが効果的だとされる。

かつては「カンフル剤」として実施された財政出動、いわゆるケインズ政策だ。

しかし、開放経済の下では財政政策はあまりよく効かないとされる。

マンデル・フレミング効果が出るからだ。

すなわち財政出動すれば、クラウディングアウト効果もあり金利が上がり、投資にネガティブな影響を与えるが、こうした要因を除いても、利上げに伴い自国の通貨価値が上がるため輸出にブレーキが掛かり、GDPを押し下げるというのが教科書的な説明だ。

◆政策の効果

しかし、昨今はどうか。

様々な要因から長期金利が上がっているが、為替レートはどうか。

円高どころか、円安が是正されていない。

この為替レートも、金利、世界との金利格差、遠い戦争と近い戦争など各種要因によって左右され、複雑に絡まり合い、このうちどの要因がどの程度為替レートの上下に効くのか確定的なことは言えない。

◆積極財政派は、大盤振る舞いの財政出動をしても財政は悪化せず、むしろ名目成長率が上昇し、その結果税収が伸びるため、積極的に財政出動すべしとする。

しかし、税収は名目成長率によって左右される。

そこで日本の潜在成長率をみると、どうか。

1%を切りって久しい。今では0.5程度だろうか。

人口減少化が続いており、0.5すら怪しくなっており、ゼロ近傍と計測する有識者もいる。

また、昨今の「年収の壁」のインフレ分を超えた大胆な引き上げは減税を意味し、租税弾性値を引き下げかねない。

財政政策の在り方も難しい局面にある。

◆財政目標の緩和策が試みられているが、「金利のある世界」が戻ってきている。

G7の中でも突出して政府長期債務残高・GDP比が高い我が国で、長期金利の上昇に伴う利払い費の増加が続けば、「予算が組めない事態」がすぐ近くまで来ていることを意味している。

政府が言う「潜在成長率を引き上げることを目的とする財政政策」は果たして効果が有るのか。

これまでも労働生産性は米国の6割程度、TFP(全要素生産性)は8割程度とする調査も発表された。

特にサービス業や中小企業の労働生産性が低いのは「日本病」とは言えないか。

また、労働生産性の高い自動車や電機も海外に出て行って久しき、生産性にはマイナスに寄与している。

かといってAIに活用も諸外国と比べてフル活用とはなっていない感がある。

こうした中で、働き方改革で総労働時間もへり、若者の減少で生産年齢人口も減っている。

潜在成長率を高めることは難しくなっている。

こうした中、「財政赤字を拡大させてまでも潜在成長率を高めること」は可能なのか。

◆目白押しの歳出増要因

経済成長の恩恵で税収が増えることはある。

しかし、こうした恩恵は景気次第だ。

毎年毎年、こうしたギフトが届くわけではなく、来難はどうなるかわからない。

逆に歳出増加の要因はほぼ恒久的なものが多い。

防衛、教育、福祉、所得格差是正、国土強靭化・・・

最近では「イチゴから艦艇」までの重点投資17分野や中東情勢を映じた物価対策。

こうした施策を講じなければ政権が持たないのかもしれない。

◆歳出の入れ替えを置き去りにしたまま、こうした歳出増に応じ続けることは可能なのか。

これまで既得権化した歳出をゼロから見直すサンセット方式なども魅力的な案だ。

しかし、歳出を切り込みたいところには、社会、企業、政治など各方面からの強い圧力がかかる。

「経済学的に、合理的に」・・・とはいかないのが現実だ。

これまではそうだった。

しかし、昨今の日本の財政の現状はここで留まって大丈夫か、歳出構造の転換を計らないと日本は持つのか、

という状況に立ち至っていないことを祈る。

(学23期kz)

財務省 正面
日本銀行 上空から

洗濯日和…

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年5月 トピックス】

◆4年前に脳梗塞で倒れ、残念ながら身体障害者、要介護5となった妻は、平均年齢が20歳以上も人生の先輩方々の中に混じり、介護付き老人ホームにひとりで居住する。

以来、炊事、洗濯等の家事は私ひとりで行うのが日課となった。慣れてきたとは言え、毎日のメニューを考えることが如何に大変かと思うようになった。以前よく妻に今夕は何が食べたいと訊かれ、私の「なんでもいい」という返事は随分妻に嫌がられたものだった。妻の苦労、そして世の奥方のご苦労が理解できるようになった。妻に感謝、そして洗濯物をことごとく乾かしてくれるお日様に感謝する毎日である。

◆そんなルーティーンの毎日、ふと昔の思い出が蘇ることがある。

洗濯物を干しながら、ザルツブルグ(オーストリア)の丘から一望できる市内の景色を思い浮かべていた。

1990年、当時赴任地であったベルギーから休暇で家族と共に車でオーストリアを旅行したことがある。

ザルツブルグでは、モーツァルトの生家やザルツブルグ祝祭大劇場(Große Festspielhaus)を訪問。 

ザルツブルグ祝祭大劇場は、映画「サウンドオブミュージック」の舞台にもなった劇場である。

劇場正面玄関には、正に今から劇場に入場しようとするタキシードやロングドレスで美しく豪華に着飾った観客が多数いた。その景色が珍しく、それを一目見ようと道路を挟んだ反対側に、黒山のような人だかりが何かしら可笑しかった。ヨーロッパ社会のminorityの文化の一面を見た気分で、こんな世界の存在に嫉妬心さえ感じながら、自分達もその黒山の一部であった。

◆そのまさか翌年1991年8月5日に妻と一緒に同じ場所に行くとは想像だにしなかった。

当時、オーストリア大手企業のO社グループと本社(当時勤務先)経営陣との間で、取引関係を新規に構築しようとの動きがあり、幸いなことに私の取り組み案件が新規取引第一号となった。そのO社グループからご褒美として私に夫婦でザルツブルグにて開催されるモーツァルトの生誕200周年記念のオペラ鑑賞への招待状を頂いた。

早速本社に報告すると同時に、私個人として初めてのオペラ鑑賞となるため、先輩社員に相談したところ、オペラ鑑賞はタキシードがMUST、オペラは必ず眠くなるから、事前にオペラの題目を訊いて内容を勉強してから本番に臨んだ方がよいとのアドバイスがあった。

題目は、「クレタの王イドメネオ」(モーツアルトが1781年に作曲したイタリア語のオペラ・セリア)、関連オペラ資料写しを入手し、第3幕までの内容を予習。

一方、私自身タキシードは持ってなかったので、O社担当役員G氏に相談するとタキシードまでは不要でダークスーツでOKとのことなので、ダークスーツを新着した。当日G氏はしっかりとタキシードを着ていたので、やはりタキシードであったかと反省することしきり…。

◆ザルツブルグに妻と到着すると、G氏が出迎えに来られ、彼の車で宿泊するホテルへと向かった。宿泊したホテルは、ザルツブルグの丘よりさらに標高の高い所にある意外にこじんまりとしたホテルで、宿泊部屋はさほどなくせいぜい20部屋程度か…。

ロビー内に入ると、過去にこのホテルに宿泊したらしいサッチャー首相と、ニクソン大統領の大きな写真が掲げられていた。日本の政治家や有名人の写真がなかったのが残念だった。

その後、G氏と仕事の打ち合わせを(妻はG氏の妻とダウンタウンで買い物に)、テラスで行った。

ザルツブルグの街並みが眼下に小さく見え、遠くにはアルプスの山々が一望でき、思わず声を上げたくなるような絶景。 素晴らしい景色に圧倒され仕事への緊張感が薄れ、集中力が失われそうな時、突然我々の後ろの席から日本語が聞こえてきた。振り返ると小澤征爾さんと奥様(入江美樹さん)であった。どうしてはるばるこんな場所まで小澤征爾さんが…と思ったが、このホテルは知る人ぞ知る有名な場所なのだろうと納得した。

◆夕刻になり、G氏夫妻と共に、ザルツブルグ祝祭大劇場へと向かった。1年前には黒山の観光客集団の一部であった我々は、今度は反対側の劇場正面の入り口に、観客の一部として立っている…

居心地は悪くなかった。

この日のために新調したダークスーツであったが、やはりタキシードを新調すべきであった。

O社が準備してくださった観客席の正面中段の特等席で、O社役員夫妻と共に観劇開始。

舞台下にスポットライトが当たり、突然、指揮者の小澤征爾がライトに照らされて出現し、小澤征爾さんがつい先ほどホテル内で隣にいた背景に納得。

オペラは1度の休憩を挟み、約3時間近くに亘った。

休憩時間には観客が一斉にロビーへと繰り出し、まるでカンヌ映画祭授賞式のように着飾った観客が、シャンパンを片手に集った。

オペラは途中で眠くなるものと聞いていて、集中力が途切れないようにしっかりと予習をしていたが、

流石に最終第3幕になると睡魔との闘いであった。かろうじて耐えたのは空腹のせいだったような…。

◆オペラが終わり、G氏の車で宿泊ホテルのレストランへ行くという。

レストランに到着し、食事を開始したのが夜の10時過ぎであった。其の間にも次々とお客が到着し、

時折、拍手や歓声が沸くので何か訊くと、つい先ほどまでオペラ舞台で歌っていた主人公、役者達とのことであった。

何もかもが夢のようなザルツブルグでの思い出である。

(学23期 倉田一平)

現在のG氏