山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年1月 トピックス】
靖国は春の桜が有名だが明治神宮は常緑の杜で、参拝は初詣の正月。
明治神宮は明治天皇・皇后を祀り、明治時代を記念する目的で建てられた。
◆明治時代を記念する
明治天皇の崩御を機に、御成徳を祀り、明治時代を記念する建物を建てようという声が湧きおこる。
旧来の伝統的な日本社会から新時代の幕が開いた明治時代。
様々なことが起きた激動の時代だ。
維新、憲法制定、戦勝、そして世界に日本国がその名を知られるようになった新時代だ。
大国ロシアに勝ち、アジアの小国日本が欧米列強国に並ぶ近代国家の仲間入りをした。
また明治天皇は、立憲君主として崩御した最初の天皇でもある。
昭憲皇太后(大正3(1914)年崩御)も、欧州の王侯貴族・貴婦人と対峙できるよう近代女子教育を振興し、社会事業の発展、国産の奨励等に尽力、皇后として史上初めて洋装をしたお方として知られる。
このため、記念のものを作ろうという機運が起こり、天皇陵を東京に造ってはどうかという意見が出てくる。
◆東京での造営
明治45(1912)年7月30日、明治天皇が崩御。
10日前の7月20には、明治天皇が尿毒素で重体であることが発表されていた。
崩御された7月30日当日、東京市は臨時市会を招集し、宮内次官に面会し「天皇陵を東京へ」との要望を出している。
次のように素早く陳情に廻っている。
・天皇崩御の翌7月31日には元老の松方正義、井上馨を訪ね、陳情。
・翌8月1日には宮内大臣、宮内庁次官を訪問。
・同日、渋沢栄一、東京市長の阪谷芳郎、日本橋区会議長の柿沼谷蔵、東京商業会議所会頭の中野武営らが「御陵」の件で商業会議所に集い、打ち合わせ。
・翌8月2日、西園寺公望首相、原敬内務大臣に陳情。
・3日、山縣有朋に陳情。
こうした陳情は、渋沢栄一も同じ相手に行ったようだ。
というのも、東京市長である阪谷芳郎の妻琴子は渋沢栄一の次女なのだ。渋沢栄一にとって阪谷市長は義理の息子だ。
実業界の渋沢、官界の阪谷。この両輪で御陵を東京へとの陳情が行われた。
◆天皇のご意思
8月に宮内次官から次の発表があった。
大喪を青山練兵場(現・神宮外苑)で行うと。また、天皇陵が早くに東京に決まれば、それで事態は収まったのだが、そうはならなかった。
大きなハードルがあった。
天皇ご自身、「陵は京都へ」というご意思を表明されていたからだ。
天皇の京都滞在時、「陵は京都」と述べられたのを展侍が書き留めていた。
天皇のご意思であれば、「陵は京都」・・・これを変えるわけにはいかない。
それならば明治天皇を祀る神社、すなわち「神宮」を東京へ、ということに相成った。
また、神社のほかに付随して記念すべき建物などの造営をも目指すことになった。
つづく
(学23期kz)
追記
明治天皇は京都で生まれ、東京で崩御、京都に葬られた。
これに対し大正天皇は生まれも崩御も東京で、多摩陵に葬られている。


