山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年2月 トピックス】
◆造営の資金
内苑は政府が支出するが、外苑は国民の拠出、すなわち国民による寄付により集められることとなった。
寄付集めの主体となったのが明治神宮奉賛会だ。
奉賛会では外苑の造営資金を約495万円と見込み、東京が200万円、東京以外の府・県が250万円、このほか植民地(台湾、朝鮮、樺太)方20万円、移民など。
また海外から25万円を集めることとした。
東京以外の府.県から集める目標となった250万円のうち、大阪は50万、神奈川・兵庫は各20万、愛知10万、福岡8万、あとの残りは3~5万円の県が多い。
千葉の例を見ると目標額が3万5千円のうち、野田の醤油・茂木家から1万円が寄付された。
また、官界(役人)からは官職のランクに応じて寄付(拠出)額が、俸給の5%、3%、1%と指定されたほか、主要国の大物外交官は大枚を寄付したとされる。
海外の植民地からの寄付については大書きされた。
◆国民からの寄付
一般国民からも節約して貯めた小金などが寄付された。
子供が栗を売って稼いだ小銭なども寄付するなど、寄付にまつわる各種美談が語られた。
また、資金ではなく、若者からの労働供与も行われ、「勤労奉仕」と称され、全国から若者を中心に11万人が自腹で集まり、力仕事に携わった。
自腹でよく集まったものだと思うが、彼らには彼らの算段があったようだ。
明治の記念物を東京で作れば、後々まで「俺が作った建物」として、親や子、親戚への自慢になる。
また、地方から上京した彼らには「東京見物」という楽しみがあった。
しかもこの勤労奉仕には余禄もあったようだ。
御所や新宿御苑の拝観が特別に許可されたほか、宿泊、食品購入、入浴料の支払いに便宜が図られたという。
全国の若者の外苑造営参加によって、若者が使う競技場、野球場、相撲場、プールなど若者向けの施設が作られていき、果ては近隣に「日本青年館」が建造されることにもなった。
1916年明治神宮奉賛会は財団法人となる。明治神宮および外苑完成により、奉賛会は1937年解散している。
◆献木
全国から10万本の樹が献木された。
明治20年4月に空襲で社殿は消失したが、既述したように、献木された樹は常緑で燃えにくい照葉樹が中心であったため、神宮の杜の消失が免れたという。
(学23期kz)

