随筆 横目で眺めた経済学 ⑰-3 政府の役割 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年11月 トピックス】

◆ニューケインジアン

スタグフレーションの発生を契機に、M.フリードマンやR.ルーカスなど小さな政府を主張する新自由主義の台頭でケインズ主義は霞んだようにもみえた。

しかし、2000年を境に、市場の失敗や市場の不完全性に対する政府の役割、経済に関する積極的な政府の役割を認める主張は根強く残っていた感がある。

◆スティグリッツやクルーグマン

ジョセフ・スティグリッツは、情報の非対称性があるため市場は不完全であり、市場の失敗をもたらすとして、「情報の非対称性」で2001年にノーベル経済学を受賞。

言われてみれば確かにそうだ。

売り手と買い手は商品に対する情報量が全く異なるのだから。

またスティグリッツは、小さな政府を信奉する論者が政府の経済規制を撤廃すべしとする見解に対し、規制緩和がバブルをもたらし、金融の規制緩和が世界金融危機をもたらしたとして規制緩和に真っ向から反対する。

規制なしで機能する社会はありえないのであり、目指すべきは「適切な規制とは何かだ」と主張し、政府に積極的な役割を持たせ、小さな政府に異を唱えた。

このため、政治的には民主党寄りとされる所以だ。

かつて、日本に対しては、デフレを抑制するための方策として政府紙幣の発行を唱えた。

また、ポール・クルーグマンも大恐慌時のニューディール政策を信奉しているとされ、「小さな政府」に異を唱える。

政府のやるべきことは多いのだ。

◆政府の役割

古くて新しいテーマだ。

旧くなった経済規制、経済環境に変化とともに効果が疑わしくなった政策措置など、検証もされないで過去の遺物として、あるいは既得権益として残っているような規制や制度は、検証の余地がある。

こうした規制や、古くなった制度は、新たな目で見直し、縮小・撤廃するのが当然だ。

しかし、政府の経済規制一般について「恣意的で撤廃すべし」とするのは極論にすぎるように思われる。

きめ細かい検証が必要だ。

◆「小さな政府」の下での勤務実態

小さな政府が日本でも花開いたのは国鉄民営化の中曽根政権下。

国鉄、専売公社、電電公社の三公社が民営化された時に当たる。昭和の終わりのころだ。

政府は余計な事はしないという「小さな政府」。

職員はすることがなく、手持無沙汰だったか。

とんでもない、仕事は次から次に湧いてくる。

当時、仕事が終わるのは明け方。

明け方に仕事が明け方終わるというのは、その日の朝から、すなわち、夜明けの1~2時間後から、忙しい一日が始まることを意味する。

明け方に帰宅して仮眠し、朝刊に目を通して出勤する日が続いた。

特に国会開会中は。

◆「大きな政府」でも「小さな政府」でも、忙しい職員

行政に対する要望が減ることはなく、業務範囲が広がり多岐化するし、業務が高度化、複雑化する。

こうした中で、職員の定数が厳しく抑えられた「小さな政府」。

一人当たり業務量は増える一方だ。

これが我々にとっての「小さな政府」の実態だった。

(学23期kz)

ジョセフ・スティグリッツ氏

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