山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年12月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんからの投稿
◆事務所の引っ越しと言うといずこも一大行事となる。
40数年前、勤務した博多でも時は将に”バブルの前兆”を呈していた。毎年家賃の値上げ交渉にさらされていた。
総務は意を決して、移転を決めた。
旧商業街の呉服町から中洲川端に移動だ。家主も生保から損保に変わった。
◆勿論、自分の職場移動の準備は自分の持ち場でする、そして最優先だ。
その当時、職場は事務屋、引っ越しの為の人員確保も容易だ。
一方、営業系の職場は外部との商談等もあり、手薄感があった。そして、作業は遅れ気味…
こんな時は力を合わせて、一大行事を仕上げた方が良い!血気盛んで若手の世間知らずは、思慮もせず応援に出向いてしまった。(懇意にしていた営業マンも多かったと言う背景はあった)
席を空ける事を所属課長に十分伝える事なく、小一時間離席…
席に戻るなり、課長席に呼ばれ、所属長からは社会人の基礎となる”報-連-相”について叱責を受けた。まだまだ社会人として、お尻が青い時期、さらに若気の至りとして、課長に一言奏上してしまった。
「事務所引っ越し、これは一大行事!です。こんな時こそ、”課を越えて”やらないといけないと思います!」
何と威勢の良い啖呵をきったものだ。(少し世の中が分かってからは、背筋が寒くなった(笑))
課長の返答は苦笑いだった様な記憶がある。
◆その年の職場の流行語は「課を越えて」となった。何か気合いを入れてやる事があるときは「課を越えて」と来る。(笑)
一方、こんな”不出来な世間知らず”を職場では大切にして貰った。
◆河島英五は「お前が二十歳になったら」の歌の中で”いいか、男は生意気くらいが丁度良い〜”と詠う。
当時カラオケも流行っていて、よく中洲にも足を運んだ。
しかし、昼間職場での生意気盛りでも、夜の席では、決して河島英五の生意気は歌えなかった。
◆長年新宿区本塩町にあった本社が移転する。
40数年前、本社最終面接も、田舎者は新宿区と言ったら、新宿駅で降りて街をキョロキョロ…街行く人に道を尋ねると”中央線に乗って、四ツ谷駅”で降車されたら良いよ…と
そんな思い出深いビルの住民が12月19日には四ツ谷を跡にする。

