随筆 老子考 

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年1月 トピックス】

◆近年、お参りは有名どころの神社ではなく、近くの神社に参るようになった。

日頃の散歩にも近くの神社に行き始めたところ、置いてある説教の札に手を伸ばして、持ち帰ったことが何度かあった。

手元にたまたま2枚の札が残っている。

そこに書かれた言葉。

「浅き川も深く渡れ」皆虚

皆虚・・・

調べてみると、江戸時代前期の僧、俳人だという。

浅い川のようでも、どこで足を取られるかわからない。

浅い川でも、深い川と思って十分用心して渡るがよい・・・との意味のようだ。

◆もう一枚は老子の札だ。

「知者不言、言者不知」

知る者は言わず、言う者は知らず 

説明は不要だろう。

二枚の札とも逆説的な言い方をしている。

含蓄のある諭しだ。

◆老子

昔から、惹かれるところがあった老子。

老子の名言の中には逆説を用いた説得力のあるものがある。

例えば、・・・

「老子道徳経」第45章から (書き下し文)

大成若缺、其用不弊・・・大成は欠くるが若(ごと)く、その用は弊(すた)れず、

大盈若沖、其用不窮・・・大盈(えい、満ちている様)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず、

大直若詘、大巧若拙、大辯若訥・・・大直は屈折したように見え、大巧は拙いように見え、大弁は訥弁のように見える・・・

もう一つ

「老子道徳経」第11章

「無」の有用性・・・

器は中が空(無)。ゆえに汲むに際し有用だ。

家も中が空(無)。ゆえに収納するに際し、用を為すことができる。

物の外面の形も大事だが、中が空(無)であることが有用で役に立つ。

◆単なる言葉遊びのように思えるが、そこには裏面の真実を突いた鋭い眼力を感じる。

孔子の処世訓に比べて、冷徹で余計なものを捨象した真理、宇宙規模の真理を示しているかのようだ。

「無」にはエネルギーが充満しているとも説く。

Tao(道)の「無」は虚無ではない。「有」を生じる源で、死んだ「無」ではない。

真空でも粒子が生成・消滅する現象が絶えず起こっており、エネルギーを持つとする量子力学とも通ずる。

氷山のように上部には見えない水面下には、上部の11倍を超える体積が隠れているが、老子の「無」もそうかもしれない。

陽と陰。

見える世界があり、そして見えない世界がある。

見えない世界にはまだ名前が付けられていない世界が存在するかもしれない。

幾何学の世界では理解不能だった非ユークリッド幾何学の世界、また古典力学ではない量子力学の世界が拓けてきたように。

蟻たちには空を飛ぶ鳥の存在自体が理解できないに違いない。

・・・これは深い世界・・・

頭が痛くなる話はここまで。

◆山を登る時には、見えなかったもの、見なかった景色があった。

山を下る時には、登る時に見なかったもの、見えなかった景色が眼に入ってくる。

山下りを味わいながら、また新たな年を迎えた。

(学23期kz)

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