山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年2月 トピックス】
1970年代、私は山口大学経済学部に入学した。蛮カラの気風が色濃く残る鳳陽寮・北寮で2年間、暮らした後、3年生になって山口県庁近くの下宿に引っ越した。
◇惣野旅館再訪
私は学生事業家だった。
東京からフォーク歌手らを山口に呼び、コンサートを開催した。
彼らを泊めた定宿は一の坂川沿いの惣野旅館である。
私は令和7年10月、山口を訪れた。
秋晴れだった。
空は青い。白い雲が流れる。
一の坂川沿いをひとり、歩く。
子どもたちが河原で遊んでいる。
のどかな情景だ。
確か、このあたりに惣野旅館があったはずだが・・・。
よくわからない。
ちょうど、男性が向こうから橋を渡ってきた。
―おたずねします。惣野旅館はどちらでしょうか。
「惣野旅館? ああ、すぐその先ですよ。もう、営業はしてないけど・・・」
男性は親切に案内してくれた。
◇ご当主健在なり
あった。ここか。
惣野旅館だ。玄関は閉まっている。
カメラを構えたところ、玄関ががらりと開いた。
そうとうな年配と思われる男性が現れた。
「なにか、用かね」
―こんにちは。学生時代、惣野旅館でよくコンパをやってまして。
懐かしくて来たんです。
「学生? 学生ゆうたら 高商かね」
高商とは、山口大学経済学部の前身、山口高商のこと。
―はい、経済(学部)です。
「それかね。経済、出とるんね。どことなく、教養がにじみでとる」
「昔は学生がコンパやって、にぎやかじゃった」
「戦前は学生がマント着て、金色夜叉(の間寛一)みたいやった」
「山口は学都といわれとった。教育の街やった」
ご当主の名前は惣野博さん。大正生まれ。
なんと101歳という。
私たちが学生のころ、50歳前後だったのか。
いまも頭脳明晰。記憶もしっかりしている。
惣野さんが通った旧制の商業学校の教師が高橋先生。
山口高商の卒業生だったそうだ。
縁を感じる。
◇学生コンパ
惣野旅館は明治39(1906)年創業。
学生時代は気にも留めなかったが、老舗旅館だったのか。
半世紀前の学生コンパ。
元気のいい、明るい女将さんが薬缶(やかん)でお燗した熱々の日本酒を
大座敷に運んで来たものだ。
あの、にこにこした笑顔。
今でもはっきりと思い出す。
◇惣野旅館に泊まる
実は私、10数年前、惣野旅館に泊まったことがある。
その頃はすでに女将さんはいなかった。
ご主人が旅館を切り盛りしていた。
大きな浴場で汗を流す。
江戸時代の旅籠(はたご)のような2階の角部屋。
きれいに敷かれた布団にもぐりこむ。
静かだ。
安らかな眠りについた。
朝食は大座敷でいただく。
料理はお手伝いの女性が作り、大座敷にお盆で運んできた。
惣野さんには息子さんがいる。彼は大手企業に就職したそうだ。
息子さんは「旅館の経営を継がない」というので、7年ほど前に休業した、と話す。
惣野さんは今から用事があって出かけるという。
なんと、自転車にまたがった。
高齢だが、自転車を乗りこなしているのだ。
別れ際、惣野さんはこう、いった。
「気い、わこう(若く)、もちんさい」
101歳に励まされた。
【続く】
(鳳陽会東京支部 S)


