江姫と長州歴史ウォーク

          江姫と長州歴史ウォーク

 私は以前本欄に横浜市北部でボランティアガイドをしている旨、投稿させていただいたが、6月5日に開催される六本木周辺の長州歴史ウォーク(鳳陽会東京支部主催)に際しては、長州ゆかりの地もさることながら地元に関連してぜひ訪ねてみたい場所がある。それは、2011年に上野樹里の主演で大河ドラマになったお江(崇源院)が荼毘(だび)に付された「麻布野」である。

               ◇将軍の正室

お江は2代将軍徳川秀忠の正室であり、家光の生母であるが、秀忠と家光が上洛中に江戸城内で病没して増上寺で葬儀をあげた後、麻布野で荼毘に付された。

増上寺から麻布野までは1000間(1800m)の間に筵(むしろ)が敷かれ、その上に貴重品であった白布が重ねられてその間を白装束の落髪した集団に担がれて棺が運ばれたが、その役割を担った人々はお江の化粧料地の村民であった。

                ◇香煙

その化粧料地の対象となった村が自宅の近くにあり、当地の寺社や旧家の古文書等にお江に関わるエピソードが多く残っている為、自然にお江に関心を持つ事となった。

ただ江戸時代は土葬が標準であったから、歴代将軍、正室、側室の中でなぜお江だけが荼毘に付されたかは謎であるが、荼毘に際して180m四方を囲った上で、最高級の香木「沈香」を厚く敷き詰めて火を放ち、その香煙は1キロ以上にわたってたなびいたと『徳川実記』に記されている。

               ◇「麻布野」

問題はその「麻布野」の場所が現在のどこに当たるかということであるが、徳川実記の記述に従って増上寺から北西に麻布台の谷筋を通り、飯倉を抜けて1800m葬列が進んだとすれば長州歴史ウォークの集合場所である東京ミッドタウンの辺りかも知れないし、距離の正確性を疑えば六本木交差点すぐ東側坂下の六本木墓苑辺りの可能性も考えられる。ちなみに六本木交差点北西角近くの深廣寺にはお江の灰塚(非公開)があるそうである。

私個人は変貌著しいミッドタウンよりも、まだしも弔いの雰囲気が残る墓苑の地を支持したい。ミッドタウン周辺は時代が下って長州藩の下屋敷が建てられた場所である。ここは謹んで候補地から除外することとしたい。

(山口大学経済学部22期生)