乃木大将その2

乃木大将 その2

乃木希典(まれすけ)は周りの人物を虜にする不思議な魅力を持っている。軍人の中でも「乃木のためなら死ねる」という兵士が多くいたという。

◇無私

我欲を卑しみ、私欲を嫌う。日清戦争時、厳冬の旅順で、司令官に与えられる特別誂えの防寒外套の支給を拒み、また食事も一般兵と同じものを食したという。

日露戦争で多くの犠牲者を出した際には「愚将」との批判が渦巻いた。しかし、乃木が戦場で長男と次男の二人を相次いで亡くしたことが世間に知れると、「一人息子と泣いてはならぬ。二人亡くした人もある」との俗謡まで流行り、乃木への批判がぴたりと止んだという。

◇やさしさ

戦後、乃木は折を見ては手土産を持ち、負傷兵を慰問したという。ある兵士には天皇から下賜された金時計と同じ作りで、音が鳴るように細工を施したものを渡している。両腕を失った兵には自らが考案に関わった「能動」義手を手配した。負傷兵がその義手で乃木宛に礼状を書いてよこした際に、乃木は「大いに喜んだ」とされる。しかし、乃木将軍のことだ。人前を避け、おそらく慟哭(どうこく)したに違いない。

また、心根の優しい乃木は目に触れた弱者を放ってはいない。今回の長州歴史ウォーク(鳳陽会東京支部主催)で回る乃木邸には、金沢で偶然出会った辻占(占いの入った菓子)売り少年と乃木の像が立っている。幼き時に父を亡くし、8歳にして一家を支えるこの少年へ当時の大金2円を持たせ、立派な人間になれと励ます。この少年の名は今越清三郎。長じて金箔職人として名を馳せた。

◇外国人もとりこに

乃木は、近くで接した外国人も魅了する。敗北した敵将、ステッセルとの会見で帯刀を許した乃木。また、乃木は彼の死刑回避に尽力し、彼が流刑となると、取り残された家族に生活費を支援し続けたという。

また、乃木と行動を共にした若き米国人従軍記者のウォッシュバーンは、乃木を“Father Nogi”と呼び、乃木を人情が美しく、武士道を体現した立派な軍人として描いた本を出版する。タイトルは「皇国日本」でもなく、「日本陸軍」でもなく、「Nogi」。海外の軍人の間で有名になり、GHQ司令官ダグラス・マッカーサーの父アーサー・マッカーサーもその著作に胸を打たれたという。また、父アーサーは旅順要塞戦で観戦武官として乃木に間近に接したこともあり、息子に「武士道の具現者たる乃木のごとき軍人たれ」と常々言い聞かせている。

その息子、ダグラスは第二次大戦後、日本に着任し、向かったのが乃木神社だったという。彼が着任した翌年、乃木邸に植樹したアメリカ・ハナミズキ。今では邸内で大きく枝を伸ばしている。

(元山口大学経済学部生k)