メシヤ 我が想い出

救世主の話ではない。定食屋の話だ。

昭和46年、山口大学経済学部入学で、学23期。

平川での教養課程を経て、2年時に古めかしい亀山校舎で最後の授業を1年間受けた学年だ。大学での「学び」の方と言えば、今では忘却の彼方に行って久しい。いや、ひとつ残っている。経済原論の有名F教授のオールバックと厳めしい風貌だ。

◇舌のふるさと、我がメシヤ

1 「経食」

亀山校舎の経済食堂のことである。並んでいるおかずは、主菜のほか小鉢に至るまで上品なコクのある味付けで、どれもうまい。厳しい予算制約下にあって、経済学部生らしく、最小の費用で最大の効果を上げるべく、毎回おかずの選択に迷い、熟考した。行く度に飯を大盛に装ってくれるおばちゃんが居たことを50年ぶりに告白しておく。

2 万両

筋骨逞しく、角刈りの跡が青光りしている大柄なお兄さんが運んでくる味噌汁が何ともうまかった。3年時に平川に移った後も不思議と土曜か日曜の朝は通った。いつも油揚げが入道雲のように盛り上がっていたお椀。中身は豆腐とワカメという何という事のない平凡な具材。この「平凡」がいい。ひと啜り、またひとすすり。嗚呼、心と身体が溶けていった・・・

3 ショウハイ

財布の余裕があるとき通ったのが中華定食屋のショウハイ。一番の繁華街たる道場門前の四つ角、山口ホールの隣にあった。確か「小孩」、看板にはこう記されていた記憶がある。調べてみると、「小さい赤ん坊」とある。ラードのうまみのきいた野菜炒めを食べるたびに、深い満足に浸った。気分がいい時には、奮発して白ゴハンではなく、チャーハンに。この比類なき贅沢。

4 鳥惣

年に1、2度の目出たいことがあった折には大市商店街の「鳥惣」に足を運んだ。無口なオヤジが出してくる鳥の揚げもの。表面がパリパリで香ばしく仕上がっており、最初の一口から「参りました」とコウベを垂れたくなる。多少の小骨ならかじって食えるような揚げ方になっており、食べ残した骨が俺は3本、ワシは2本と猛者ぶりを競っていた。

◇メシヤ再訪

5年ほど前に山口を訪問する機会があり、昔の繁華街を回ってみた。懐かしの店がことごとく姿を消していた。湯田にあり、“空気の天ぷら”として親しまれた逸品「しな天」を出す高級店・利平も蒸発していた。

それでも最後の砦「万両」に向かうが所在が分からない。道の付け替えが変わったこともあるのだろう。昔お世話になった下宿にもとうとう行き当らなかった。ようやく「万両」を探し当てたところ、なんと洋風になっている。喫茶店風の構えで看板は「REST 万両」。

カウンターの中で独り新聞を読んでいた初老の爺様。扉を開けたところ、老眼鏡を鼻までズラしてこちらを覗き込む。嗚呼・・・残酷な時の流れ。

いや、しかし待てよ。そういうオノレも他人が見ればまた然りということだ。

◇毎朝還る「ヤマグチ」へ

店は姿を消し、私も年をとった。ただ学生時代に覚えた味覚は私の中で今でも新鮮なまま。最近とみに早起きのクセが付き、起床は夜中の3時前後。朝食が「できる」までとても待てず、家族の分も含め自分で作るようになって久しい。ショーハイの野菜炒め、経食の小鉢、万両の味噌汁は欠かさない。

家で味わえないのが「鳥惣」の唐揚げだ。しかし3年前に、とうとう見つけたぞ。「鳥惣」を思い出させる味を五反田で。

ああ、早く立ち去れコロナ君。(学23期kz)