メシヤ 我が想い出 その2 長門館

 昭和46年の入学後、吉田寮にお世話になった。しかし、寮食を利用したのは右も左も分からない入学直後だけで、メシ時はもっぱら大学正門前の「長門館」へ通った。 当時は“ちょうもんかん”と呼んでいたが、今では“ながとかん”と呼ばれているとは知らなかった。
 ◇長門館の娘さん

 当時、注文したメシを運んでくれる、感じの良い姉妹がいた。“二人は双子”というのが学生仲間の定説になっていたが、定かではない。二人とも都会風の品の良い顔立ちだった。一人は小柄で顔がシャープに引き締まっており、いかにも姉タイプ。もう一人は多少ふっくら型。顔にあどけなさが残っており、いかにも妹タイプ。二人とも感じの良い娘さんだが、双子にしてはあまり似ていない。“似らん性双生児”か。

 ふっくら嬢の鼻にはホクロがあった。こう表現すれば品よく聞こえるが、漆黒のイボで、大ぶりだ。付いている箇所が鼻のてっぺん近くのため、結構目立つ。しかし、このイボすらもアクセントの一つに変えるほど、あどけなくも品のある顔立ちだった。残念ながら、このお嬢さん方お二人とは、卒業まで話一つすることもなかった。

 ◇サイモン&ガーファンクル(S&G)

長門館にはレコードプレーヤーが置いてあった。針を落として聴くヤツだ。ステレオタイプのヘッドフォーンで音楽を聴いたことのない貧乏学生の私にとって長門館での音楽鑑賞を楽しみにしていた。立ったままで、目を閉じ、気が付けば二時間近く経っていたという時もあった。ステレオの横に置いてあったのはドーナツ版。枚数もごく少なかったが、よく聴いたのがS&Gの「コンドルは飛んで行く」や「サウンド・オブ・サイレンス」。ラジオや街角で聞いた時は、何ということはない軽めの米ポップスと思っていたが、ヘッドフォーンを通して聴くと、これまで体感したことのない上等な音質、克明に分かる楽器の音色、重厚な音響、そして歌う二人の息遣い、生き生きと共鳴し合うハーモニー。全く別の世界に引きずり込まれ、時を忘れた。

◇大阪の友人、定食料金の安さに驚く

もっぱら学生向け食堂の長門館。社会人の姿はついぞ見たことがなかった。“味よし、値段よし”の長門館。当時、定食の単価は300円台後半だったろうか。大阪から来た友人を連れて行ったが、値段表を見るなり「安い!」を連発。私の方は彼が驚く姿にこそ驚いた。山口の物価はそれほど安いのか。

◇長門館 再訪

 数年前に訪れた山口。「万両」(「メシヤ 我が想い出 その1 参照)と同様、この「長門館」にも足を伸ばした。

あれれ、店の広さが当時の半分に!

夕食時前だったためか中は薄暗く、店の人の姿も見えない。間もなく奥に動きがあり、こちらに向かってくる気配。私は思わず外に飛び出した。万両での出来事(記述・その1)もあったためか、店の人と向かい合う勇気がなかった。 

◇現在の長門館

 今では“ながとかん”と呼ばれる長門館。ヤマグチの街中でやっていた中華料理が店を閉じる際、そこの職人さんが独立して店を始めたという。買い取ったのだろうか。いや、あるいはこの職人さん、ひょっとして双子の君のどちらかと良縁ができたのかもしれない。

 ◇学生に優しかったヤマグチ

 後になって聞いた話だが、当時、双子嬢の父で長門館のオヤジさんは平川地区の下宿代の相場を決める大立者だったそうだ。当時はオイルショック直前。家賃は1畳1000円、四畳半で4500円と分かりやすい家賃だった。では東京の家賃はどうだったか。当時、東京の大学に通っていた友人の話では、池袋近くの下宿長屋の家賃が、3畳で7千円と言っていた。

やはりヤマグチは学生に優しかった。

(学23期kz)