されど我らが山大卓球部

私は体を動かすこと、運動が好きだった。中学・高校では卓球をやっていた。

山口大学経済学部に入学して、やはり、自然に卓球部に入部した。

新入部員は経済学部、医学部、工学部、農学部、教育学部など20人ほどいた。

   ◇3経戦

 当時、卓球部は亀山キャンパスで練習をしていた。学生が計画を立て、自主的に練習を行った。練習場にシャワーはなかった。練習の帰り、よく銭湯に通ったものだ。

  選手として大会にも出場したが、強くはなかった。3回戦に勝ち上がればハッピーだった。

  当時、3経戦が行われていた。山口大学、長崎大学、大分大学の経済学部の選手が戦う。会場は各大学持ち回りだった。遠征費は自己負担だ。アルバイトで交通費・宿泊費を稼いだ。

   ◇マネージャー

 3年生でマネージャーになった。大会の手配など裏方に徹した。

新入部員がやめないよう、ずいぶん、気をつかったものだ。

 卓球部の3割が女子部員だった。教育学部や文理学部の女子学生が多かった。

 だが、私は男女交際にあまり関心がなかった。卓球部の中ではロマンスは芽生えなかった。

 コンパは年2回、盛大にやった。新入生歓迎コンパと追い出しコンパだ。

会場は惣野旅館などだった。コンパ代は1千円。アルバイト1日分だった。

 卒業後は仕事が忙しく、残業、残業の日々。卓球を楽しむ余裕がなかった。

しかし、卓球部員たちとは、学部を超えて付き合いがある。

 (元山口大学卓球部 M)