わたしは熊本県の高校を卒業。山口大学経済学部に入学しました。
大学では音楽関連のサークルに入りたいと思っていました。中学・高校時代は音楽サークルとは無縁でした。ギターも他の楽器も弾けません。
ただ、好きで音楽サークルに入りたかったのです。
◇いきなりコンサート
「ファミリーズ」に入りました。フォークソングが主流のサークルでした。先輩にギターの弾き方を教えてもらいました。懸命に練習しました。夜、寝るときもギターを抱え、コードを指で押さえて練習しました。指がはれあがったことを覚えています。
入学して早々、山口市民会館でファミリーズのコンサートが開催されました。サークル傘下のいろんなバンド、個人が演奏します。新人のわたしもバンドの一員として舞台に立ち、演奏したのです。会場は千人を超すファンで満席でした。めちゃめちゃ緊張して手が震えました。でも、大勢の前で舞台に立ち、演奏する快感を覚えたのです。
2年生になってバンド「アールグレイ」(3人編成)を結成しました。作詞・作曲も自分たちでやりました。ビジュアル系のバンドです。ファッションには相当、気をつかいました。次第に人気が高まり、ファンクラブまでできたのです。
◇上京してオーディション
3年生のとき、上京して音楽事務所のオーディションを受けました。一発で合格しました。デビューが決まったのです。
いったん、山口に戻り、経済学部のゼミの指導教授、Y先生に相談しました。
「上京して音楽活動に専念します。当分、ゼミには出席できません」
Y先生はこういいました。
「思いっきり、やってくれ」
いま、思えば、おおらかな時代だったのです。
◇仲間が交通事故
ところが、準備を整え、上京する直前、バンドのリードギター担当の仲間(経済学部生)が交通事故に遇い、骨折。ギターを弾けなくなったのです。わたしはこの交通事故を「天の啓示」と受け取りました。天は「上京するな」といっているに違いないと思いました。
わたしたちは上京を断念。バンド解散を決断しました。音楽活動からも離れました。
大学卒業後、わたしは東京の「ネクタイを締めなくていい」会社に就職しました。交通事故に遇ったバンド仲間もまた、大手企業に就職しました。
卒業して歳月が流れた後、かつてのバンド仲間と再会する機会がありました。華やかだった学生時代の思い出をしみじみ語り合いました。
「あのとき、上京してデビューしていたら、おれたちの人生、どうなっていただろうな・・・」
(元山口大学経済学部生 R・S)