靖国考 その2

靖国神社には全ての戦没者が祀られているのではないことは前号で述べた通りである。ここで靖国神社に代わり、そこに祀られいない国内の一般人や日本にゆかりのある外国人戦没者をも含た全ての戦没者を対象とし、国賓から一般人まで皆が安心して参拝できるような施設はないのかという問いが浮かぶ。

実はこうした目的のため、昭和40年に靖国神社境内に「鎮霊社」が建立されている。

◇鎮霊社

これを建てたのは元皇族で、 “白い共産主義者” と自称した平和主義者の筑波藤麿宮司だ。ローマ教皇、ロシア正教大主教、カンタベリー大主教に会い、当時の国連事務総長ウ・タント氏にも会った筑波氏は世界平和を希求し、内外の戦争犠牲者を慰霊するために鎮霊社を建てた。

また筑波宮司はA級戦犯合祀についても、遺族や戦争犠牲者援護会から強い要請があった中、長きにわたり「合祀保留」という状態に留めている。

鎮霊社 を建立した時点で、靖国神社で合祀されていない霊も包摂する恒久的な社(やしろ)にすることはできなかったのか。

残念ながらできなかった。宮司の一存で祀る戦没者の線引きが変わるからだ。

筑波宮司の没後、代わった松平永芳宮司(松平春嶽の孫)は海軍少佐上がりで、青年時代に国家主義者・平泉澄(きよし)から強い影響を受けており、東京裁判を否定しなければ日本精神の復興はできないとする考え方の持ち主。先の大戦も「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」で戦った犠牲者を祀るとした。このため、松平宮司は鎮霊社の存在に否定的だったのだ。

この鎮霊社は現在、拝殿の左脇にひっそり建っており、鉄の柵で囲われ、入り口には鎖が巻かれ鍵が掛かった状態になっている。また、靖国神社のパンフレットにも「鎮霊社」の表示はなく、案内も出ていない。

◇祀られている外国人

靖国神社には外国人も祀られている。志願兵の岩里武則氏もその一人だ。彼は大戦末期、妻と4歳、2歳の子供二人を残し、台湾の海軍志願兵として祖国防衛のために戦い、散華した22歳の若者である。この若者とは故李登輝総統の兄、李登欽氏のことだ。こうした台湾人28柱も祀られる。

このほかにも朝鮮国のために日本の軍人としてソ連(ロシア)と戦った朝鮮の兵士たち21千柱も祀られている。ただし、こうした合祀には、合祀取り消し訴訟も起きているようだ。

 ◇千鳥ヶ淵戦没者墓苑、アーリントン墓地

靖国に遺体はない。

靖国神社から内堀通りを渡った千鳥ヶ淵沿いには、千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるが、これは第二次大戦中に海外で死亡した戦没者のうち、身元が分からない無名戦死者や民間人の遺骨35万柱が納められている国立の施設であり、靖国とは慰霊の対象が異なる。

かつては靖国神社の境内に無名戦死者の墓を建てる案も出されたとされるが、神道は遺体を“穢れ(けがれ)”として嫌うことから靖国神社側が反対し、立ち消えとなっている。

また米国には「多宗教の施設」であるアーリントン墓地があるが、靖国はこれとも異なる。

アーリントン墓地は一定の軍務経験を満たした戦没者には埋葬の権利が与えられているが、前号でも述べたように、いかに立派な軍歴を有していても「退役軍人」になると、靖国神社に祀られることはない。

 ◇昭和天皇の憂い

靖国神社の思い、800万人の遺族会の思い、全国戦争犠牲者援護会の思い、それぞれの思いがある。国内一般人の間でも参拝には賛否が分かれているようだ。

また、閣僚の靖国参拝では中国や韓国の反発があり、米国からも「失望」が表明されたこともある。

こうしたさまざまな思いが混じる中にあって、ここに祀られる英霊たちは安らかに眠れないのではないかとさえ思える。

元侍従長の富田メモによると、「A戦犯」の合祀が昭和天皇の知れるところとなり、その時を境に陛下は靖国に参拝されなくなったという。

昭和天皇の御製である。

この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに

うれひはふかし

陛下の憂いを深くさせてはいけない。

(学23期kz)