山大ボート部・青春の合宿生活

私は1970年代に山口大学経済学部に入学しました。そして吉田寮に入寮したのです。入寮早々、漕艇部(ボート部)の先輩が新入部員勧誘のため、寮にやって来ました。

 ー試漕会をやるから、来てみないか。

 私は中学・高校時代、柔道部でした。でも、「ボート部か。面白そうだ」と思って試漕会に行き、入部することにしました。1年生で入部したのは3人です。経済学部同期のA君も一緒でした。彼はのちに主将になりました。

◇同じ釜の飯を食う

 山口大学ボート部は春から夏まで合宿生活です。

宇部市の小野湖に合宿所がありました。合宿所には廊下が一本通っています。部屋には2段ベッドが置かれていました。部屋に壁はあるのですが、ドアはありません。廊下から全部、見通せます。  

宇部から山口までは遠い。公共交通も不便です。列車やバスで通学できません。ボート部員は乗用車やトラックに分乗して通学しました。帰りにスーパーに寄って食糧を大量に仕入れます。夕食は学生当番が作りました。カレーライスや豚肉と野菜のごった煮が多かった。たまに牛肉の差し入れがあって、その夜はすき焼きです。食堂でみんないっしょにアルミ製の容器で食べたものです。

◇エイトの朝練

 朝5時、起床。毎日、朝練をしました。エイトは、8人の漕ぎ手がオールでボートを漕ぐ。握力、体力、そして技術がないと、オールで水を捉えられない。オールがポンと浮く。こんな選手は戦力にならない。「お客さん」と呼ばれます。

私たちは「お客さん」にならないよう、日々、鍛錬していったのです。

◇いざ、全国大会へ

ボート部の最大の目標は8月に埼玉県・戸田で開催される全国大会です。

当時、新幹線は山口まで開通していません。大阪まで夜行列車で行き、大阪から新幹線で東京へ。列車を乗り継いで戸田に到着します。戸田で2週間、直前合宿を行い、最後の練習に励みます。こうして全国大会に臨んだのです。

だが、全国大会に出場するチームは強豪校ぞろいです。山大は予選敗退でした。

 その後、山大ボート部は実力を高めていきました。3年後、中四国大会で優勝しました。

◇創部50周年

 山大ボート部が創部50周年を迎えたとき、湯田温泉で総会が開かれました。私は参加しました。世代を超えて150人が集まりました。「よくボート部がここまでになった」と感慨深かった。みんな、あの合宿生活をともにした仲間です。世代を超えて交流しました。

 そうですね。ボート部の活動が、会社の仕事に活かされたか、どうか。役立ったことはないでしょう。また、ボート部に入って人生が飛躍したわけでもない。

でも、今、振り返ってみてボート部に入ってよかったと思っています。青春時代にいい経験をした・・・。 

(元山口大学ボート部員 O)