50年ぶりの巡り会い
◇ラジカセで切り取ったシャンソン
学生時代のアルバイトで手に入れた「ラジカセ」・・・最近では、もはや死語になっているかも知れない。
ラジオと一体となったカセットテープレコーダーだ。買った当初はニュースや知識を録音し、繰り返し聴いた「魔法の器械」であり、世界の半分を手に入れたような気がした。
刻々と変化する世界を伝えるニュース、語学をはじめとする各種教養講座、極東米軍対象とした英語のFEN放送のほか、当時ヒットした曲もカセットテープに録音し、繰り返し聞いた。
カセットテープが擦り切れたり、摩耗したり、巻き付いたりしたが、その度に「セロテープ」で繋ぎ合わせて繰り返し聞いた。
◇切り取ったシャンソン
ある音楽番組で、哀愁を帯びたフランス語のメロディーが流れてきた。私の琴線に触れる好みの曲の調べ。この曲の録音は”MUST”だと脳髄から指令が飛ぶ。録音可能スペースのあるカセットを慌てて探し、録音操作を終えた時は曲の前半3割ほどが流れ去っていた。
中途半端に録音されたその曲を繰り返し聞き、意味が解らぬまま、それらしく諳んじて口ずさむ度に、その曲が醸し出す世界に吸い込まれ、埋没していった。
私の第二外国語はサイレントの入る仏語を避けて独語を選んだ。歌に出てくる仏語で理解できたのは“maison” (家)、もう一つは大サビで出てくる“toi e moi”(あなたと私)くらい。
録音操作が遅れたことが、その後50年、曲を探してさまようことになるとは、この時思ってもみなかった。
メロディーが浮かぶ度に、どうしてもこの曲名が知りたくなってレコード屋に足を運び、店員に私の鼻歌メロディーを聞かせたが、50年も前に流行ったシャンソンを分かってくれる優れ者の店員は一人もいなかった。
◇街角で流れてきたあの曲
今から10年前くらいになるだろうか。街角で哀愁を帯びた“あの曲”が聞こえてきた。眠っていたものに再び火が付きインターネット検索するもヒットしない。
それから間もなくとうとう見つけた。
ミッシェル・デルペッシュの「哀しみの終わりに」。you tubeの中で。
原題は<La maison est en ruine>
洪水で家を流されたカップルが、仲間に元気づけられ、元気を出して立ち直ろうとする姿を描いた曲だ。
東日本大震災の時にデルペッシュ自身がいち早く東北の被災地にメッセージを寄せ、日本人によるカバー曲が復興の応援歌となったそうだ。
50年の時を超え巡り会えたシャンソン。時を超え、国を超えて震災で打ちひしがれた人々に寄り添い、励ます応援歌となった。
街角であのメロディーが聞こえてきた時とは、いまから考えると東日本大震災の直後だったのかもしれない。
◇パリの大洪水
こうした曲を生んだデルペッシュの故郷フランス。頻繁に洪水に見舞われるのだろうか。
しかし、自然災害はほとんどないという。大洪水が起こったのは1910年、今から約100年前だという。
それに比べて日本は地震、台風、土砂崩れ、洪水、津波、噴火と各種自然災害が多く、フランスほど建物も頑丈にはできていない。それでも日本人は、何度も何度も立ちあがってきた。何事もなかったような顔をして。
日本人は逞しいのだ、本来は。しかも相当に。
(学23kz)