教養課程の授業の想い出①

ドイツ語

矢儀先生

結構な年配の先生であった。頭は白髪交じりで、顔には結構深いシワが刻まれていた。どちらで、またどのような経緯でドイツ語を習得されたのか伺えばよかったが、今となってはもう遅い。

高校まで外国語としては英語しか習っていなかった私にとってドイツ語は新鮮であった。

英語と同様、Aで始まりZ で終わる26文字ながら、英語とは似て非なるものだ。辞書なしでは簡単な文章も分からないものが多い。

発音の仕方も子音をあまり利かせず、ダッ・ダッ・ダダダッダと、一語一語克明に発音し、あいまいさを残さない。聴きようによっては九州訛りにも似た男性的な響きがある。

語尾まで克明に発音し、あいまいさを残さず、機関銃のような響きのドイツ語。

この点、フランス語とは異なる。

子音をよく利かせ、リエゾンあり、発音しないサイレントあり、洒落っ気のあるフランス語。

柔らかく、情緒的でささやくようなフランス語。あいまいなところを残すところが奥深く、広がりが出る。

国民性が如実に出ており、隣国でありながら両国民がなかなか理解し合えないことも分かりそうな気がする。要はゲルマンとラテンの違いということか。

◆ドイツとフランス

就職後、両国の名のある新聞や雑誌(経済誌)を読み比べる機会があったが、明らかに違いがあった。

ドイツの方は事実に基づく分析的な記述が中心で、憶測記事、予想記事、評論が少なく、ウイットもない。面白みに欠けるが、非常に冷静に、論理的に書かれており、分析的なものが多い。

他方フランスの方は情緒的に書かれており、修飾語が多く、難解だ。事実がストレートには記述されておらず、憶測記事や論評が勝っており、事実を拾うことに苦労した。

やはり私はドイツ派だ。

◆ドイツ語授業の代返

学生時代に戻るが、私はドイツ語の授業を楽しみにしていた。毎回出席していたが、私の友人の中には、部活が忙しいことを理由に私に「代返」を頼む者がおり、私は気前よく引き受けていた。

第二外国語の授業は選択必修となっており、出席しないと単位に響く。矢儀先生は毎回授業を始める前に出欠をとっていた。一人ひとり名前を読み上げ、学生の返事で出席確認をとるやり方だ。

出席できない場合、代わりに返事をする代返という技がある。私の親友のA君は私に代返を頼んでいた。

代返するにあたっては結構勇気が要る。自分の名前が呼ばれた時には、先生の目を見て胸を張り、存在感を過分に振りまきながら、声高らかに「はい」と返事をする。しかし、代返の時には先生と目を合わせず、下を向き、声色を変えて点呼に応じるが、自ずと声は内にこもる。周囲の同僚への憚りもあり、声も小さくなる。

一度、こういう事が起きた。

代返で「はい」と答えたものの、先生には声が小さくて聞こえなかったからか、再度名前が呼ばれた。

心臓が高鳴り、急に喉が枯れた。返事をする勇気はなかった。

友人には悪いことをした。

もう一度は、先生の出席確認に、私ともう一人の代返者がおり、二人揃って「はい」と返事をした。この時先生が、再度の出席確認の点呼の声がしたが、二人とも沈黙。

親友のA君、私の他にもう一人別の友人に保険を掛けていたらしい。

(学23期kz)

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