大学が平川にできたのが昭和41年(1966年)。「君といつまでも」や「バラが咲いた」、歌謡曲では「星のフラメンコ」がはやり、ビートルズが来日した年にあたる。経済が高度成長を続けていた時で、2年前に東京オリンピックが開催され、人口が1億人を突破し、「坂の上」を登っていた時代だ。
学生時代に映った正門前の風景は、いまどうなっているのだろう。山口を再訪する機会があっても、大学正門前まで足を伸ばすのは難しい。
そこでGoogleストリートビューで覗いてみた。
◆正門前再訪
山大正門前からまっすぐに湯田に伸びる山大通り(県道61号線)を再訪してみよう。
その画像を見ると、撮影時は2021年10月と表示されている。
その昔、正門の真正面にあった本屋・文榮堂のところが小公園に置き換わっていることに軽く驚いた。正門の真正面の一等地だ。人が入れるような公園ではないようで、立ち退いた店舗にあとに、「かたちづくり」の小公園を造ったような感があり、広さも中途半端のようだ。もっと良い土地の活用の仕方はなかったのだろうか。
それはさておき、画像に沿って通りを眺めると、今風の店が出ている。
◆山大通りの左手
まずは正門を背にして左手側からみてみる。
小公園の先には居酒屋「一番どり」の看板が見える。その隣には大手携帯電話ソフトバンク・Yモバイルの店舗、コンビニのファミリーマート、次に24時間営業の食品スーパー・アルク(本店は岩国)があり、アルクには全国チェーンの「やよい軒」も入っている。またその先には山口銀行の看板も見える。
ここでハタと気付いたが、長門館がなくなっている。何度見直しても、跡形もなく蒸発している。どうやらフトバンク・Yモバイルがある店舗の駐車場と化したようだ。
◆山大通りの右手
次に右手。
先ず山陽種苗がある。昔からあった店だ、その隣には西中国信用金庫(本店は下関)が出店している。実は昭和61年に当時の津和野信用金庫が山口大学前に支店を出店したが、平成19年の西中国信用金庫との合併で、看板が西中国信用金庫・山口大学前支店に変わったという。
信用金庫の先にはローソンがあり、その隣にはかつて正門のまん前にあった文榮堂が移転している。その少し先には交番も設置されており、このほか弁当のHotto Mottoも出ている。弁当に対する学生諸君の需要は大きいのだろう。
さらに湯田方面に進むと、高架でJR山口線の上を超えたところに、とんこつラーメンの博多金龍の看板を見つけた。私が学生だった昭和の時代、とんこつラーメンと言えば湯田温泉街の「おそ松」しかなかったが、この出店は嬉しい。
◆正門から左手に・・・小郡方面へ
通りのすぐ左手、小公園の隣には全国展開の学習塾があり、その左隣にはカレーの「CoCo壱番屋」ができているのはありがたい。みんなカレーが大好きだ。味もさることながら、匙1本で食べられ、使う手も片方で足りる。空いた手でググることもでき、メールも打て、読み物もできる。時間が無く、忙しい若者にはありがたいのだろう。
カレー屋の隣にはドコモショップが出店している。
その隣にある洋風のかわいらしい家があるが、いまだ健在だった。その昔、この新築の家で小さな子供さんを抱えた若奥さんが切り盛りする定食屋がオープンしたが、今では「油そば研究所 特濃豚骨油そば」と、大きな看板が出ている。当時の若奥さんがまだやっていることはないだろう。年のころ傘寿に近いはずだから。子供さんが大きくなり、お母さんの店を継いだのかもしれない。
いや、待てよ。若奥さんが傘寿なら、子供は50前後だ。店を継いだのはお孫さんかもしれない。
若奥さんの店の真向かい、山大の敷地内に「学生会館」なるものができている。昨年3月にできたもののようで、備え付きの家電があり、食事も出してくれるという。大学の独法化に伴い、大学も自前の資金を稼ぐ必要が出てきた。大学の土地を貸し出し、民間企業が生協と組んで構内に学生マンションを建てている。調べてみると家賃は3.75万円~4.25万円、食費は1.7万円との説明が載っていた。
通りを下ると、大きなディスカウントショップが出店している。やはりこういった店があれば、学生諸君には何かと便利だ。
その先には「ひらかわ朝市」の看板がみえる。どうも当時と様子が異なる。当時はJAの大きなショッピングセンターができたばかりで、惣菜コーナーでコロッケをよく買ったものだ。
「ひらかわ朝市」は平川地区で採れた新鮮な農産物の直売所で、その奥にはJAの事務所になっているようだ。
時代によって事業内容も変わり、店舗もあり方も変わるのだろう。
当時の断片的な思い出については別稿で稿で触れる。
皆さまも当時の大学正門前の思い出やエピソードを語ってみませんか。
(学23期kz)