イップス
◆遠かった1メートルのパット
リゾート地でのゴルフ場。趣向を凝らしたレイアウトが評判だった美しいコース。グリーンが速いとは聞いていた。
その時、私のゴルフ歴は15年ほど。
フェアウェイには質の良い芝生が敷いてあり、グリーンはトーナメントができそうなほど短く刈り込まれていた。
とあるホールでのこと。グリーンの端にオンした。
ホールアウトまでの組み立てとしては、ファーストパットでピン周りに運び、セカンドパットを外しても、3パットで楽々ホールアウトできるはずだった。
さて、実際は。
ファーストパットが弱く、セカンドパットを終えて、1メートル強が残った。
パットの3打目。上(のぼ)り1メートル。
ここから「なんじゃこりゃ!」を味わった。
カップインまで5打を要し、パット数は7と相成った。
何が起きたのか。
上りのパットだったので、ほんの少し強めに打ち出した。
ほどよく打てたように思えた球は、まるで下り坂のような転がりで、スルスルと、いや違う、スルースルスルスルと緩やかな上り傾斜を3メートル半も駆け上がって行った。
これまで何千回、いや何万回とパットをしてきた体験に照らし、どう考えても物理の法則に反した玉の転がりだった。
上りだが、芝目が順目だったのかもしれない。
あるいは上り傾斜と下り傾斜の見間違いか。そんなはずはない。
おまけに、最終パットのはずの6打目の10センチほどの短いパットもカップの縁(ふち)を舐めてしまった。
パットを舐めちゃいけない。
ああ、遊びのゴルフで良かった。プロでこうした経験をすれば、選手生命にかかわるところだった。
◆イップス
イップス(yips)という症状がある。プロの世界でも往々にして起こるもので。異常な緊張のあまり、何でもない動作が出来なくなってしまうことだ。ゴルフではドラコンを狙うようなドライバーショットではなく、何でもないはずのパッティングで起こる。
特に、優勝のかかったプロゴルフではそうだろう。短いパットを外せば、優勝という名誉を獲り損ない、何千万円という優勝賞金も逃げていく。かつて連戦連勝中のジャンボ尾崎が優勝のかかった短いパットを前に、手が痺れて打てなくなり、仕切り直した場面を思い出す。
実際、イップスでプロの世界を引退してしまった選手も多い。宮里藍然り、丸山茂樹然り、帝王ジャック・ニクラウスに代わり「新帝王」と称されたメジャー8勝のトム・ワトソンもそうだ。
この症状は真面目で完璧主義者に多く出るという。
◆本番前の過度な練習
サラリーマンのアベレージゴルファーは、コンペでみっともない球を打たないように、何週間も前から入念な練習を繰り返す者も多い。私もその一人だ。
しかし、事前の練習を入念に行えば行うほど、本番では筋肉が硬くなるようだ。
スタートのホールの第一打目。
「あれだけ練習したのだからうまくいかないはずはない!
うまくいく筈だ。」
こう思った時点で、もういけない。
すでに身体は相当硬くなっているのだ。
案の定ミスショットが出たら、「これまで積み上げてきた練習は、一体何だったのか。」
と悔やみ、落胆の度合いは大きい。
◆ビジネスイップス
このイップスは仕事でも出ることがあるという。「ビジネスイップス」だ。
この症状は責任感が強く、他人の評価を過度に気にし、自分をよく見せようと自分を追い込むタイプがかかりやすいそうだ。
ひと昔前の典型的な日本人にありがちな症状のような気もする。
しかし、最近は日本人も若者も相当変わってきている。
オリンピックのような大一番でも「楽しんでくる」と言い、負けても「楽しかった」という。
自己暗示でもいい、負け惜しみでもいい。
それくらいでないと、イップスに負けるかもしれない。
(学23期kz)