三途の川行きつ戻りつ篇
1. 明けない夜はない。いつか夜は明ける。
地獄から何とか抜け出したい。退部は怖くて言えない。偽診断書作るか。とんずらするか。ーとまで思いつめていたが、あっという間に一年が過ぎ、類まれな順応性も発揮され、いつの間にかアスリート型に変身。
わが身の不幸を嘆いた日々もどこへやら。純朴な新人勧誘に精を出す2回生となりました。
悪い噂ばかり。男ばかりの不人気クラブに入ろうというような物好きはまず、いません。「こんな僕だってできるんだから」
ニコニコ、アリ地獄戦術で、哀れな子羊十数名が罠に落ちました。進んで入部した奇特変人が数名いたのにはビックリ。
2.つかの間の休息
学生運動華やか(一年前東大入試中止)で、授業ほとんどなし、稽古に備え、寮でゴロゴロという怠惰な日々。サンドバックの白帯は身体中殴られ、蹴られ、痛みなど何のその。
「オッ!!骨折れたかも、これで稽古休める」
残念!腫れてるが、骨折なし。
強い骨をくれ、雑に育ててくれた鬼母のお陰、いまだに骨折経験はありません。
当時、大学空手はプロ予備軍。頂点の拓殖大学をはじめ、東洋、大正、駒沢、天理、立命など強豪私大が覇を競っておりました。
そんな時代でしたが、山口にUターン就職した元拓大主将がコーチに来られ、わが校も強豪校の仲間入りを果たしたのです。
そりゃそうです。稽古内容は厳しいが、合理的な拓大流で鍛えられたのですから。
(優しく粒ぞろいの一年先輩は全日本選手権4位という偉業を成し遂げた。強豪私大OBの審判ばかりの試合で無名の国立校が準決勝進出ということは実力NO.1と同意)
私は、このコーチ登場を心待ちにしておりました。大会前の稽古は試合に備え、黒帯中心です。白帯は幹部のお世話と見学。まるで格闘技観戦の楽ちん稽古。下級生は時計係り、医薬品、おしぼり準備など雑用のみ。雑巾がけも念入りに。
3.三途の川を覗く
ある日のコンパのあと1回生を引率、二次会への移動の際、私は駅前大通で車にはねられ、数十メートル飛ばされました。
自転車にまたがったまま、アベックの車に追突されたのです。ボンネットからフロントガラスを割って運転席に転がり込み、急停車でフロントからスーパーマンのように飛び出した。顔から道路に落ちたが、幸い頭打たずに前方回転状態、ゴロゴロといつまでも転がった。
はいていた革靴は半分にちぎれ、自転車はグチャグチャ、助手席にいた彼女のほうがダメージ大きく、一緒に救急車で山口病院へ。初めての女性同乗が救急車!
医者は診察、消毒後、「もう帰っていいよ」と言ったが、保険屋の鬼母の命令で保険金規定日数まで無理やり入院。鬼母が飛んできて相手から賠償金取った。
ある日、病院から通っていたパチンコ屋で、車を運転していた彼とバッタリー。
「元気じゃん?」
「いやそれほどでも」
普通ならお陀仏になるところ。彼も死亡事故免れ、ラッキーじゃん。
(再び覗く三途の川 夏合宿)
海辺のお寺に1週間、朝昼晩の3回稽古。食欲もなく、水と塩、寝るだけの日々。
昼は炎天下、海岸砂地をひたすら走り、足腰鍛錬。
きつくて当たり前、いつか夜は明けるーの精神で走っていたが、急に体が動かなくなった。皆がどんどん離れていく。気づいた先輩が駆け戻って病院へ運んでくれた。意識はあるが心肺停止、「危うく死ぬとこやで」とお医者さん。
2日間、お寺で休養。稽古帰りの1年が人の気も知らんと「いいなー、いいなー」と。
君たち今度稽古の時しっかりお礼するから待っててね!と誓ったのでありました。
4.警備保障お出入り禁止
日給1500円(時給じゃありませんよ!)。正しいバイトでは防府競輪、徳山ボートなどの警備が一番割がよかった。会社の責任者は少林寺拳法道院長。職種柄、武道系の学生が多かった。
大勝ちしたおじさんの出口までのボディーガード以外、制服制帽で指定場所に一日中立つのみ。退屈だが、人間観察が面白い。
「ばれるとなめられるので、学生の身分は絶対明かさない」
「暴動が起こったら最初にやられるので制服を捨ててすぐ逃げる」
などと、指導を受けた。
ある雨の日の競輪最終レース。滑って落車続出。レース後、そばにいた爺さんが外れ車検を思いきりまき散らした。その後、順位訂正のアナウンスあり。爺さんが今ばらまいた当たり券を血相変えて探し回っていた。終わり頃、ふと足元を見ると、靴の下に当たり券が!
制服のまま、それを握って換金窓口へ。金を受け取ったとたん、数名の私服警官に囲まれ取調室へ連行。コッテリ絞られました。
部の斡旋で、バイト料は一部部費上納だったが、この不始末のおかげで以後、空手部はお出入り禁止。百叩きを覚悟したが、主将は笑って赦してくれた。
5.恥も外聞も捨てました
応援団のないわが校では、遠征・試合出発の際は山口や小郡の駅で、下級生が制服整列し、部歌、応援歌、押忍三唱(突きの基本型)などで上級生を見送ります。
歌の練習は入部してすぐ、やらされました。
恒例の鳳翩山登山も思い出します。単なる登山ではありません。鍛錬と発声練習、道着に高下駄、畳何枚分もある部旗を交代で捧げながら険しい山道を登ります。頂上まで水一滴も与えられず・・・。
*私は見た!他校応援団の凄まじさ
関西のある応援団(”花の応援団”のモデル)が数十名、食堂にいました。全員起立。まず4年が食事。終わると、3年に許可着席食事。次2年、最後に1年、冷めきったカレーライス。
西日本大会の体育館の裏にて。無様な負け方をした某大学空手部が正座。学生服の応援団が彼らを制裁。なんだかんだ言っても、常識的な普通の国立大学でよかった。
次回は3回生時の驚愕事件。
(山口大学経済学部卒業生 N)
注 以上はフィクションで、実在の人物、組織とは関係ありません。―ということにしておきます。不適切な表現もありますが、作者の意図を尊重し、ほぼ原文のまま掲載しております。