Francisco de Xavier
山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【10月 トピックス】
学生当時、我々は「ザビエル」と呼んでいたが、山口では「サビエル」と濁らない。記念聖堂の公式ホームページも「サビエル記念聖堂」となっている。
(呼び慣れていないため、いまひとつしっくりこないが、本稿では「サビエル」と表記する)
◆サビエルの塔
亀山にはサビエルの塔があった。サビエルの山口での活動400年を記念して昭和27年(1952年)に建てられるが、平成3年(1991年)に失火により焼失、今ではモダンな建物に変わっている。
大学に入りたての頃、亀山の丘を見上げれば、欧州の古城を思わせるロマネスク風の本堂から伸びた2本の塔が青い空によく映えていた光景を思い出す。当時の印象があまりに強く、再建されたサビエルの塔には残念ながらなかなか馴染めない。
◆日本での布教
日本に初めてキリスト教を伝えたサビエル。
サビエルはスペイン生まれのバスク人だ。19歳でフランスに留学し、自由学芸、哲学を修める。この時、年長者イグナチウス・ロヨナの影響もあり聖職者を目指すことを決める。
しかし、ルターの宗教改革でカソリック派に対して抗議運動が起きたため仲間と共にイエズス会を立ちあげ、世界宣教に乗り出す。
サビエルは貿易交流促進を図りたいパトロンのポルトガル国王から東洋に派遣される。
サビエルがトーレス神父、フェルナンデス修道士と共に日本に入るのが1549年のこと。マレーシアで出会った薩摩の罪人アンジロウがサビエルに罪を告白し、あまりに熱な信者となったことで日本に興味を持ち、薩摩から入り、その後平戸で、山口、堺、そして布教と天皇への謁見のため京都へと北上する。
しかしサビエルが入った京都は応仁の乱の後、戦乱で荒れ果てて
おり、不況の拠点を変更し、西の京として栄えていた山口に焦点を定める。時の戦国大名は大内義隆公であったが、なかなか布教の許しは出なかった。
しかし、サビエルは日本人と接し、日本人に対して理解を深めていく。
サビエルは日本人を「親しみがあり、善意で悪意がない。名誉心が強く、とても賢く好奇心が強い。どうすれば魂が救われるかその方法を知りたがる。日本は世界で最もキリスト教徒として適応できそな民族である」(サビエル書簡)と見定めたのだ。
◆ロイス・フロイスのサビエル評
パウロより多くの人々をキリスト教信仰に導いたとされるサビエル。サビエルの活動は緻密で、日本をよく研究し、仏教徒とも幾度となく宗教問答をし、イエズス会本部や友人あてに日本に関することを書き記している。
室町時代に来日し、信長の庇護を受けた「日本史」の著者ロイス・フロイスはサビエルとは16歳年下。
サビエルから強い影響を受けており、サビエルを「完璧な男」と評している。
(学23期kz)

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
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