山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【2023年7月 トピックス】
◇亀山のふもと、白石町の下宿長屋
亀山では教育学部の授業も行われていたが、私が亀山に移ってきた時には、教育学部がちょうど平川に移ったばかり。このため、亀山付近では華やかさが消え、かなり殺風景な景色に変ったのであろうが、私は知らない。
入学を機に家族から離れ住んだ想い出多き吉田寮の生活に別れを告げ、二人部屋の寮生活から亀山のふもと、白石町で下宿の一人暮らしが始まった。
生活空間をひとりで独占できたのは、生まれて此の方、この時が初めてであった。
気に入った本を読み、音楽を聴き込んだ。当時気分が乗った時に思うところを書き留めたノートが後年見つかり、読み直してみたことがあるが、何十年経った後でも、当時のものの見方、考え方、また感じ方は変わっていないことに驚ろく。
◆同期K君
下宿では経済学部の学生が多かった。経済学部同期で武道をやっていた長身のK君もその一人だ。
アルバイトにもよく一緒に出掛けた。長身のK君は目立つし、モテた。
卒業後、勤務地の最寄り駅、地下鉄G線の駅で、偶然にも反対側のホームにいたK君と目が合った。彼も最寄り駅が同じ駅だったのだ。
彼は間もなく結婚するが、私も式に呼ばれ、新居となる住まいにお邪魔したことがあるが、何ともうらやましく思ったものだ。
その後はお互い忙しく連絡が途絶えたが、第一線を退いた後、再び会食会や同期会ゴルフで顔を合わせることになった。
彼は会社勤めの時代に米国の大学に留学しており、ITに強く、情報処理にも長けていたこともあり、再就職した折、アジア支店の支社長を任された。
今年の春に帰国し、ご苦労さん会を企画したが、コロナ感染者数が急増した時期に当たり、やむなく延期となった。
◆昭和47年の水害
本年7月1日未明に山口市で線状降水帯が発生、48時間の雨量が332.5ミリと観測史上最大となり、車が川に浸かり犠牲者が出たようだ。美祢市でも川の氾濫で7台の車が立ち往生し、車の所有者のひとりと連絡が取れず、捜索が続いているとの報道がなされている。
昔も大雨が降った時のことを覚えている。2年生の時、下宿に引っ越してきて数か月後、昭和47年7月の話だ。私の下宿には丁度後輩・Y君が訪ねて来ていたが、帰れなくなった。
この時には停電となり、灰皿に油を注ぎ、ボロのTシャツを破って作った芯を作り、ろうそく代わりにして明かりを取り、酒を飲みながら夜明けを待った。水かさは増え、膝ほどに高さがあった上がり框(かまち)まであと数センチであわや床上浸水、畳も水浸しとなりかけたが、その寸前で水かさの勢いが止まった。
その時の後輩Y君、いまはどこで、どうしているのだろうか。
◆下宿長屋の有名人
中には他学部の学生もいた。亀山での下宿は5部屋連なったプレハブ長屋。一番端に住んでいたのは“前衛的”としてその筋では知られていた演劇部の大物部長A氏(文理学部在籍)。絶えず異性が出入りし、深夜遅くなっても、なかなか就寝してくれなかった。
近隣の奥さんたちも眠れなかったのだろう。苦情が絶えなかった。
このA氏が「亡くなった」という話が伝わってきたのは、私がこの下宿長屋を出て、間もない時であった。
◆そういえば・・・
そういえば、このプレハブ長屋には母屋があり、高校のF川先輩もおられた。高校時代は硬式テニス部で、日焼けした浅黒い顔で、サウスポーでサーブを打つ姿が印象的だった。麻雀がお好きなようで、下宿ではサウスポーで牌を切る光景しか記憶にない。学生運動でもお忙しかったようだ。
一年しかいなかったが、色々な人が居合わせた下宿であった。
もうひとり。
隣の部屋にいたのが経済同期のN島君。名門T筑高校出身、山本ゼミ。ギターが好きで、優しい声で口ずさむフォークソングが隣室からよく聞こえてきていた。クラブはマンクラ。芸能人のように長身で、育ちの良い顔付きだった。就職はCBSソニーだったと記憶している。
彼を同期会や鳳陽会の会合に何度か誘ったことがある。
つい最近のこと、N島君から「お世話になりました」と、鳳陽会へ退会の連絡が届いた。
N島君、卒業後貴君と会う機会がなかったが、どうか達者で暮らしてくれ。
(学23期kz)
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