山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【2022年12月トピックス】
◆海外でも人気
明治天皇も忠臣蔵を好まれたという。天皇は明治元年10月、満16歳で東京に遷るが、間もなく泉岳寺に勅使を遣り大石内蔵助良雄を追弔せしめたとされる。この時陛下は山岡鉄舟等の武士出身の侍従はおらず、読み物で親しまれていたようだ。
山鹿素行の中朝事実では「天下の本は国家にあり、国家の本は民にあり、民の本は君にあり」と尊王思想が説かれ、君への忠誠、忠義があるべき姿としており、明治天皇は主君へ絶対の忠誠を尽くす乃木希典などの臣下を好ましく思っておられたようだ。
外国では忠臣蔵はどのような評価がされているのだろう。
幕末には日本通の外国人も増えたようで、海外にはかなりの数の日本文学の外国語訳が出回っていたとされ、忠臣蔵は百人一首に次いで人気が高かったという。
26代セオドア・ルーズベルト米大統領は新渡戸稲造の武士道の愛読者で忠臣蔵の英訳を読んでおり、非常な日本贔屓であったことが知られている。このため彼は日露戦争の仲介役をとして名乗りを上げ、ポーツマス条約の立役者となった。
◆武士道と騎士道
武士道と騎士道は似て非なるものだ。
騎士道は武士道と忠誠、武勇、礼節、名誉などは共通するが、人間として立派であることを求めるもので、主君への忠誠心の優先度はさほど高くないようだ。要はジェントルマンたれ、ということか。
他方、武士道は主君への高い忠誠心を求める。しかし盲目的な絶対的忠誠心を求めるのではなく、そこに義がなければならないとされる。ここが厄介だ。
これに照らせば赤穂浪士の行動はどうなるのだろう。
赤穂浪士の行動を測るに、主君・浅野内匠頭の遺恨の在り処はよくわかっていない。こうしたまま根拠が定かではない「主君の無念」を晴らす形になっている。
そうなれば、赤穂浪士の行動は武士道を通り越したものといえるかもしれない。
主君が即日切腹を申し渡されたのに比べ、吉良上野介は咎めのないまま隠居した。
赤穂浪士が行ったことは、「喧嘩両成敗」とは言えないまでも、この不公平な処分に対して、実力行使で格差を埋めようとしたのではないか。
無念というのは主君の無念ではなく、家が取り潰しとなったことで、大石以下浅野家の家臣たちが寄るべき藩地を亡くしたことの無念であり、恨みではなかったか。
◆魅力の神髄
しかし、忠臣蔵を理詰めで追っていては面白くない。
いじめられた主君の意を継いで、殿の家臣がいじめた上役に天誅を下す。
ここには主君への愛と忠誠心と愛があり、「悪」を懲らしめる勧善懲悪がある。
陳腐なストーリーだが単純明快で、とても後味が良い。繰り返し、聞いても、読んでも飽きない面白さがある。
この図式に日頃虐められている庶民が自己の感情を移入して、憂さを晴らす。
忠臣蔵の主人公の半分は大石内蔵助、あとの半分はいじめられた自分が主人公だ。
これが忠臣蔵の神髄であり魅力なのではないか。
こうなれば、問題の「遺恨」は、本筋としては大した問題ではなくなってくる。
しかしストーリーを面白くするには、味付けが必要だ。
悪役をとことん悪者にし、主君がとことんいじめられるような構図でないと大きな爽快感差が出ない。
このために割りを食った可能性がある吉良公。
そうであるなら、謹んで吉良公のご冥福を祈りたくなる。
(学23期kz)
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