そうだったのか、佐久間象山 ②

山口大学経済学部同窓会

 鳳陽会東京支部

【2024年 4月トピックス】

◆風貌

一見、異国人か異国人の血が入っているとしか思えない日本離れした風貌の持ち主だ。

身長は五尺七~八寸(175センチ前後)と、当時としては立派な体躯で、面相たるや彫りが深い。

ペリーは普通の人には挨拶などしないが、象山には会釈したという話が残る。昵懇だった幕臣・川路聖謨も「ペリルから会釈されしは、貴殿(象山)ばかりでござる」と言ったとされる。

しかし、佐久間の家系に外国人がいたわけではなく純粋の日本人、松代藩士である。

象山は優秀な知性の持ち主であることを自ら強く意識しており、この知性を次世代に残すべく、子を多く埋める女性を近くに置いておきたかったようだ。

妾との間に4人の息子がいたが、幼少時に死去。成人した者もいたが大成しなかった。

同時代人を超えた知性の持ち主で、女性にもてたのであろう。

勝海舟の妹・順子(じゅんこ)もその一人で、順子は当世第一の知識人へのあこがれが強く、17歳の時に、当時41歳だった象山と所帯を持った。

しかし、残念ながら順子との間で子には恵まれず、佐久間家は途絶えた。

◆風船爆弾

ペリーの艦隊を見て、日本刀を振るって立ち向かうとする吉田松陰に対し、象山はとても勝ち戦にはならぬと考えたようで、一戦交えるとするなら気球で米国本土を直撃するしか方法がないと「半ば冗談」で言ったらしい。

まさか第二次大戦で100年前の象山の冗談が実践されようとは・・・・

◆尊攘過激派の手に

享年54歳で尊王攘夷過激派の河上彦斎に暗殺される。

河上は長州過激派と親交があり、七卿落ちの際、三条実美の警護をしていた人物だ。

京で「西洋の鞍」を付けた佐久間を見て、衝動的に斬っている。

これまで、庭の茄子や胡瓜をもぐが如くいとも安易に人を斬っていた彦斎も、佐久間象山を斬る時には「絶大の豪傑を斬ることが意識され、髪の毛が逆立ち震えた」とし、これを機に彦斎は人斬りを、ぱたりと止めたという。

(学23期kz)

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