名畑ゼミの思い出 -1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年8月トピックス】

私が所属した名畑ゼミ(9期)について昔語りをしたいと思います。
名畑ゼミを知らない方もおられると思うので、まずは簡単に紹介を。

研究分野:経済発展論
指導教官:名畑 恒(なばた ひさし)先生
出身:岐阜県
生年:1940年
ゼミ担当:1969年~
退官:2003年
没年:2012年

略歴・著作等については「東亜経済研究 名畑恒教授退官記念号」(2003年3月発行62巻1号)に詳しく載っています。国会図書館にもマイクロフィルム化されたものがあります。
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I6543335-00

ゼミの生い立ちや指導方針については、ゼミ誌第1号(1978年発行)に名畑先生ご自身による記述がありましたので以下に引用します。

『私のゼミナール活動は1969年の秋からである。長期間にわたって経済学部の本館が占拠されるという不幸な事態の中で岡倉伯士先生が急逝され、先生亡き後の岡倉ゼミを私がお世話するという形で私のゼミナール指導は始まった。岡倉ゼミの研究領域が国際経済学だけでなく、寡占問題やマーケティングまでに及んでいたために、当初の卒論指導では安田充先生や鈴木重靖先生に迷惑をおかけせざるをえなかった。伊藤敏夫君、宮川信治君、松見俊一君などの岡倉ゼミ最終期生は、わずか半年のつき合いであった。したがって、「名畑ゼミ」の第一期は、橋本博君が幹事をつとめた井手昇君、森山信治君、山田隆君たちのゼミナール(1971年卒)であるということになる。もちろん、「純粋」の名畑ゼミは1972年卒業の浅野敏夫君、佐伯秀政君、久芳鋭治君、町田章君、村河勝信君たちのゼミである。(中略)

いま想えば、ゼミを初期にさかのぼればのぼるほど学問以外の領域でゼミ生諸君の私的な領域に立入ったケースが多かったものである。一人の人間の生きざまにかかわる未熟で生硬な議論をゼミ生諸君に直接ぶっつけたこともしばしばあった。

私はいまも当時言ったことについての基本線を変更してはいないつもりであるが、表現の仕方は年とともに少しづつ変わってゆくのを感じている。怒れる若者、打ちひしがれた若者、心やさしい若者。時代とともにゼミ生諸君の気質も移り変わってゆく。私にはそれらをフォローするのが精一杯であったけれども、決して迎合はすまいとまじめに考えだしたのはこの二、三年来のことのように思う。』

履修時間でのゼミ活動は、指定図書を輪読し担当箇所を皆を相手に解説したり、卒論に向けた研究成果の発表・検討が主でしたが、時間外の行事がまた楽しいものでした。コンパやキャンプ、パーティ、ゼミ生の誕生会等の日程調整のため、3階北西(グラウンド)側突当たりの研究室には幾度となくうかがいました。

(つづく)

学27期 三島

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