山大・花の経済学部 その6 金子先輩、浦上先輩

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年 10月トピックス】

鳳陽会の先輩は産業界、官界、教育界で活躍された先輩は多いが音楽関係で大成された方は少ない。

今回は音楽音楽産業の分野で活躍された先輩二人を紹介する。この分野で活躍された先輩を紹介する。

◆金子秀先輩、浦上敏朗先輩

この二人は高商40期、安部一成教授、また「山都逍遙歌」を作詞作曲した橋川敏男氏と同期生である。

金子氏は東京出身(都立八中)だが、三井物産から東芝の副社長となった父・堅次郎氏(高商2期、明治42年卒)の薦めで山口高商を受験する。

東京、神戸に次いで創立された山口高商ではあったが、山口は陸の孤島で文化も乏しい地方都市。父は山口高商で学んだことを誇りとしていたという。

時は戦時中。金子氏の実家・東京に召集令状が届いたが、本土防衛というということで日本国内にとどまっているうちに終戦を迎えたという。

大学に戻った金子氏は同期の浦上敏朗氏(後述)と共に「わかば会」という映画観賞の部活を作り、大学の講堂で洋ものの映画鑑賞会を行なった。当時、山口高商の講堂は映画館にも劣らない映像装置があり映写技師も庶務課に在籍していたという。この映写会は市民にも公開されたので、文化の乏しい山口で大変な好評を博したという。

映画の機材やフィルムは大商社に在籍された金子氏の父君にお願いして調達し、大阪の東宝映画から小郡に汽車便で届いたという。当時アメリカ映画は貸出禁止で、もっぱらフランスものが上映されたとのことだ。

講堂は音響設備も立派でクラシック音楽会も行われた。この時のことを山口の文化大革命と呼ぶ人もいたという。

この時のこともあり、金子氏は日本コロンビアに入社する。その後東芝レコード、ビクター音楽産業で実力者となった。

平川の経済学部横には金子氏からの贈り物が残っている。金子氏は個人として、平成14年に土井晩翠作詞・山田耕筰作曲の「山口高等商業学校校歌」の歌碑を吉田キャンパス経済学部横に寄贈した。

また金子氏の同期で「わかば会」の盟友・浦上敏朗氏(S48年、ジャパンアートコンサルタント社長、日本浮世絵商協同組合理事長)は浮世絵、中国・朝鮮古陶磁を中心としたコレクションを蒐集していたが、平成5(1993)年山口県に寄贈した。山口県立萩美術館・浦上記念館は彼の蒐集品の寄贈に依って開設されている。

(学23期kz)

山口高等商業学校校歌 歌碑 (金子秀氏寄贈)

山口県立萩美術館・浦上記念館

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