山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2024年 2月トピックス】
◆下宿の医学生
平川の竹〇下宿には、医学生・K君が居た。
九州、福岡か大分の出身で私と同学年のKJ君だ。よく酒を飲み、麻雀を打った懐かしい思い出がある。
彼は今、どこでどうしているのか。
大学病院にいたのか。いや、もう退職しているはずだ。
宇部か山口市内にいるのか。
あるいは田舎・大分に帰って医者の看板を出しているのだろうか。
経済学部出身で鳳陽会の同窓なら調べようがあるが、他学部だと勝手がわからない。
卒業から50年近くが経とうとしている。
何とか居場所を探す方法がないものか。
山口には医学部の同窓会本部があるが、当方からの名前、年齢、出身県も定かではない人物の連絡先を探してもらうといのはさすがに気が引ける。
◆医学部同窓会・関東支部長との出会い
昨年、関東の各学部同窓生組織代表者の初会合を開いた際、医学部代表者のOさんとお会いした。医学部の同窓会は霜仁会と称するが、Oさんは昭和43年に医学部卒、霜仁会関東支部長を35年の長きにわたって務めておられる。出身は広島で、吉田拓郎と高校の同窓とのことで、気安く、話しやすい支部長さんだ。
そのO支部長に、当時下宿が一緒だったK君について連絡先が分かればダメもとでお願いしたところ、後日連絡が届いた。
◆K君は兵庫の赤穂市に
K君は赤穂市にいた。外科医院の看板を出している。とある週末の朝にO支部長から教えてもらったK君の外科医院に電話を掛けてみた。
5回、6回くらい呼び出し音がなった。
やはり、週末は休診なのだろう。
そう思っていたところ、K君本人が電話口に出てきた。
私の電話を急患だと勘違いしたのかもしれない。
学生当時一緒の下宿だったことを告げると、K君はすぐ判ってくれた。
私もすぐにK君と判った。顔、髪、体型は変れども、声の調子、九州訛りは50年経っても変わらないものだ。
なぜ姫路に居るのか。
彼も奥方も姫路には関係ないが、山大医学部病院の関係で姫路での職を紹介されたのだという。
山口や九州には戻らず、姫路に残ることを決めたのだという。
今度、東京から九州へ帰省するときに姫路で旧交を温めることを楽しみにしている。
彼に会うときには携帯を忘れないようにしよう。昔の顔かたちを思い浮かべて待ち合わせをしても、隣に居ながらにして、昔の面影が激変しているかもしれない。
その時の切り札が携帯だ。
(学23期kz)