山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部【2023年 8月トピックス】
■■名畑先生について
『一言でいうと、とてもおかしな先生
そばにいると心を開いてしまう (就職相談時のコーヒーはとてもおいしかった)
すぐ悪ノリする (ゼミ10周年記念パーティのときはすごかった)
歌を大きな声で歌う (入ゼミ後の登山で鳳陽寮寮歌を指導されたときは驚いた)
ゼミの時間にはとてもシビアになる (普段とあまりに違うためとまどった)
ソフトボールの名投手 (一度は打ち砕いてみたかった)
なんといっても山大一の先生です』
『いつも陽気で明るい先生は、いつも長い目で私たちをみてくださいました。
皆がよいゼミだったというのも先生なくしては語ることができません。』
『飾り気がなく、ゼミ生に対しても体でぶつかっていくような気さくな人柄に親しみを覚えました。
コンクールで函館に行く時、教職員に寄付をお願いして回ったところ、学部で最高寄付者は名畑先生でした。相手にしてくれない教授が多い中であの時は名畑先生が仏様に見えたものです。
また、名畑先生を語るには奥様のことを忘れてはいけません。コンパの都度押しかける我々をやさしく迎えてくださり、我々の底なしの腹を満たしてくださいました。また、あの酒の飲みっぷりのよさにも見とれたものです。
名畑先生、そして奥様のことは私の胸に強烈なイメージを残し続けることでしょう。』
『カゲで人の悪口をいうのは得意だが、明るいところでは何も言えない。一言でいえば、先生は我々のスターだ。』
『先生は勉強の方は非常にシビアにやり、また他方、遊びにおいては我先に立って存分にやり満足しちょるという風である。ぼくは非常に無邪気な人であると思う。就職の時、非常にお世話になった。』
『まさに学生気質を知り尽くした先生であった。ゼミの時間は非常に鋭いまなざしを黒縁メガネの奥から光らせる厳しい人となり、コンパ、スポーツの時は先生という立場を離れて学生といっしょに遊びまくるといった、とても愉快な先生であった。』
『先生と知り合えたことは、私の人生において大きな影響を与えることと思います。学問において先生から学びきれなかったことは、私が至らなかったためと反省しております。先生という人格に二年間ふれたことで、すばらしい大学生活を過ごせました。』
『本当に素敵な先生でした。』
『いつも女性の味方で、やさしい先生でした。』
『酒を飲まないことを別にすれば、すばらしい先生である。』
■■名畑先生による9期生の印象他
『
「やる気のある人の、やる気のある人による、やる気のある人のためのゼミ」
残念ながら、ゼミの実態は今のところまだまだそのような理想からはほど遠い。ゼミナール指導上の私の無能を棚に上げてそのようなことを平気で言える義理ではないが、研究テーマを中心にしたゼミのまとまりをどのように形成していったらよいのか、9期生諸君が展開してくれたさまざまな試行の中でさんざんに考えさせられた1年であった。
大学祭への研究成果を企画したり、東南アジア視察旅行を計画したり、3年-4年のサブゼミを実験したりしたが、いずれも不首尾に終わった。東奔西走してくれた幹事の労に対して心から感謝の意を表したいが、同時にあれほどのエネルギーをもってしてもなお打ち破ることのできなかった状況とは何かについて、9期生がつかみ取ったものを10期生に継承させていってほしいと思っている。
ゼミナール必修という現在の枠組みの中では、ゼミに入ってくる諸君の動機や意向があまりに多様であり、創造的研究の一点において統一をとることはきわめて難しい。平均的なところで統一を保とうとすれば、それは教官が学生と同一次元にまで入り込んでいって学生諸君の欲求に迎合するという悲劇を生みがちである。私自身もこの悲劇の体験を幾度となく苦々しい思いで繰り返してきた。けっして迎合はすまいと心に決めていても、単細胞的生活反応の悲しさ、ついつい学生諸君に乗せられて「悪ノリ」してしまう。
今年度も二年生諸君のゼミナールの配属が決定し、名畑ゼミは13名の新ゼミ生を迎えることになった。聞くところによれば、今年度のゼミ紹介はやる気のない人は一切受け入れないというほどの「格調高い」ものだったという。したがって、11期生はその点での厳しさを充分に意識した諸君であろうと期待している。
9期生は実によくやってくれた。この「精鋭」たちを上回る精鋭が来るのかと今から楽しみである。(一部編集)』以上、ゼミ内報より。
—
2年間の必修科目であったゼミナール。それぞれのゼミに特徴があり、今でも初見の同窓生には「どこのゼミでしたか?」と尋ねるほど。
他ゼミの「思い出」も拝見できれば、と期待して「名畑ゼミの思い出」を終わります。
拙い昔語りにお付き合いいただき、ありがとうございました。
学27期 三島