品川神社を訪ねる

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 1月トピックス】

昨年の晩秋、長州歴史ウォークで訪れたスポットの一つに品川神社がある。

日本橋から京都までの東海道五十三次。

品川はもっとも江戸城に近い宿場町だ。

多くの人が行き交うところで、江戸を発ち、また江戸に入る大名行列も品川神社に立ち寄り、参拝した各地の藩主も多かったはずだ。

徳川家康もその一人。

天正18年(1590年)家康は秀吉の命で江戸城に居を移した。

慶長3年(1598年)に秀吉が薨去すると、次の天下人を決める戦いが始まる。関ケ原の合戦だ。

家康は慶長5年(1600年)9月1日に関ヶ原を目指して江戸を西進する。総勢3万2700名。

家康の行程をみると、1日目は神奈川のいずこか、2日目に藤沢、3日に小田原、4日目に三島に着いたとされる。

家康は品川神社に戦勝祈念に訪れたが、その行程からみると、当日の昼時に品川神社に参拝したのだろう。

品川神社の鳥居は双龍の鳥居となっている。

正面に向かって左が上り龍、右が下り龍。

また拝殿に向かい石段を上るが、かなりの傾斜だ。

宇部出身・庵野監督作品のシン・ゴジラ。

映画の中ではゴジラが品川一帯の建物を壊しながら闊歩する姿を、住民や通行人が、眺望がきく石段の「観客席」から不安げに眺めるシーンが出てくるが、この石段が品川神社の石段だ。

階段を上り切る途中、左手に富士塚の入り口がある。

富士信仰の集団「富士講」の人たちで実際に富士登山できない人々が富士山を拝めるような遥拝(ようはい)場として、築山が作られているが、ここを登り、「富士山」の頂上に登れば、海がいい角度で眺望できたのだろう。

家康は合戦の後、戦勝の御礼にお面と神輿を奉納する。

「天下一嘗(ひとなめ)の面」と「葵神輿」だ。

この面と神輿は拝殿の脇に展示されている。

◆板垣退助の墓

板垣退助の墓が社殿の裏側にある。

この品川神社を通らないと行けないところにある。

ここは東海寺の塔頭・高源院の境内だったが、関東大震災後寺だけが世田谷に移転し、墓だけがここに残ったという。

ここには「板垣死すとも自由は死せず」と記した石碑があり、熊毛郡田布施町出身の佐藤栄作が揮毫している。

品川神社の隠れた名所だ。

(学23期kz)

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