ワンゲル部で知った山の魅力

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 1月トピックス】  

私は大分県の城下町の高校を卒業しました。

山口大学経済学部に進学。ワンダーフォーゲル部に入部したのです。高校時代に登山経験があったわけではありません。「全国あちこち行けるかな」と思ったからです。

ワンゲル部の練習は足腰の鍛錬から始まりました。入部早々、連日、走り込みです。平川の神社の階段を、部員を背負って昇り降りしました。土日は錬成です。テントと食糧、調理道具、寝袋、そして砂袋(これが重い!)をリュックに詰め、担いで鳳翩山に登ります。リュックの重さは30キロ・・・。体験した人でないと実感できないでしょうが、相当重い。吉田キャンパスを歩いて出発します。鳳翩山の麓まで行き、険しい山道を登るのです。きつい。とても、きつい。やめた新入部員も多かった。

 1年生の夏合宿で北海道の大雪山系を踏破しました。2年生の夏合宿は北アルプス、そして3年生の夏合宿は南アルプスでした。山登りはつらい。でも、大自然の中、仲間とのテント生活は楽しい。険しい山道を登り、頂上に立つ達成感はなんともいえません。ワンゲル部で山の魅力を知ったのです。

◇台湾のニイタカヤマ

 大学を卒業して東京の会社に就職しました。韓国、台湾、中国など海外に駐在して仕事をしてきました。社会人になっても登山を続けました。印象深いのは台湾の玉山(標高3952メートル)です。日本人にとっては「ニイタカヤマ」といったほうがわかりやすいかもしれません。日米開戦を告げる日本軍の暗号電文「ニイタカヤマ ノボレ」は有名です。ご存知でしょうか。

 玉山は入山規制があります。許可がないと、登れないのです。台湾駐在時代、登山申請を提出しました。半年後、ようやく許可が出ました。11月下旬、登りました。寒い。山頂付近はマイナス2~3度でした。

 通常、玉山を登る場合、途中で山荘か、テントで一泊。翌未明、頂上を目指すのです。

 私は自分の体力を過信していました。一泊せずに一気に頂上を目指したのです。頂上まであと100メートルほどの地点までなんとか、たどり着きました。

ところが、疲労でふらふら状態。もう、足が動かない。しかも、まもなく日が暮れそうです。これ以上、登ったら、たいへんなことになる。登頂断念。やっと、やっと、テント場にもどることができました。

◇山の仲間

 2023年12月2日(土)、山大ワンゲルOBの仲間と奥多摩・高水三山に登りました。みなさん、60代~70代ですが、元気です。けっこう険しい山なのですが、ぐんぐん登って行きます。

 下山後、お楽しみが待っています。奥多摩の蔵元、小澤酒造直営の野外酒場、清流ガーデン澤乃井で打ち上げです。さわやかな汗をかいた後の酒がうまい。同行者の中に日本百名山登山を達成した人がいて、みんなで祝福しました。

 私は地元の山の会にも入り、関東の山に登っています。富士山をいろんな角度から見るのがおもしろい。異業種の人たちとワイワイ、話しながら、山に登るのは楽しいものです。

実は、登ってみたい山があります。

ボルネオ島北部のキナバル山(標高4095メートル)です。近い将来、挑戦してみたいと思っています。

 (山口大学ワンダーフォーゲル部OB T・H)

One thought on “ワンゲル部で知った山の魅力

  1. 山陽宇部支部所属の大学17期の宮崎です。葛見事務局長から会員登録のパスワードを頂きましたのでコメントさせていただきます。学生時代はワンダーフォーゲル部で貴重なご経験をされ、社会人時代そして今も山大ワンダーフォーゲル部のOBの方々と「山の仲間」として登山に挑戦。羨ましい限りです。学生時代は吉田を出発と書かれていましたので私よりまだお若いのでしょう。掲載されている写真もいいですね。ところで、17期でのワンゲルには谷山君が活躍していました。彼は住友銀行に入行し、今は退職して奈良に住居を構えているはずです。私は、準硬式野球部でしたが、彼とは親しくお付き合いをしていました。ボルネオ島北部のキナバル山への挑戦、成功をお祈りしています。成功の折の投稿文も拝読させてください。

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