山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2024年 2月トピックス】
会報「鳳陽」180号に松永理事長が、学生時代にフグを食することへの憧れがあった話が掲載されていた。
そして、今回は東京支部のSさんが韓国釜山まで出向き、真っ赤なフグ鍋のおいしい話を伺ったら、40年前の学生時代のアルバイトの賄いの話をしないわけにはいかない。
製造業に携わったものには禁断の月一で放映されている「魔改造の夜」風に少しイニシャルを使用しよう。(例えば、日立製作所は「H」製作所となる)
学生時代湯田温泉にあった温泉旅館「M屋」でアルバイトをしていた。最初は皿洗いから始まり、少し出世して、板場(料理場)のお手伝いをするようになった。これは、学生時代からの無二の親友「K」隆さんの紹介であった。
板場のアルバイトの楽しみは、仕事が終わった後の賄いである。そして、大浴場の貸し切りの入浴。
冬は大概野菜たっぷりの鍋に、お造りをした残りの鮮魚を刺身の盛り合わせにして提供して戴いた。毎回、ビール付きで、時給が安い高いの世界を超越した、至福の時が待っていた。
卒業を控えたある夜、鍋に見慣れない鳥のブツのようなものが入っていた。そして、鶏唐げ?更に見たことのない、薄緑の大皿に菊の花弁のように盛り付けられた薄造り。もみじおろしに小葱のみじん切りに、さらにポン酢。
勘のいい方は、すぐ気づいたであろう。山口のふく!ひとまずのフルコースを準備してくださったのである。
てっちり、ふくのから揚げ、てっさと揃っていたのである。
(蛇足ですがふくがてっぽう(鉄砲)と言われるのは、当たれば命にかかわるところからくる)最後にヒレ酒まで飲んでしまった。
山国育ちの自分には、今までに食したことのない食感、旨味。
ひとこと、旨い!!
板長だった「S」井さん、「s」吉さん、「y」本さんと「「K」隆さん」と自分の5人で囲んだ鍋。
ある意味、学窓山口を出でていく春を控え、心のこもった、ちっちゃな門出の祝宴を準備して戴いたのであろう。
別の機会に、旅館の専務からも声をかけられた。「あんたたちは、時間が経つと偉ろうなるんやから、偉うなったら、うちの店を使こうてくれんさいよ」 返事は、勿論「はい!」
時がたち、山口を再訪する機会があった。宿泊先に先ずは「M屋」をと思い、宿泊の電話を入れようとした。電話は繋がらず、既に廃業されていた。一宿一飯の恩義は何としても果たしたいと思い、古い記憶を辿りながら、所在があった場所を歩いて探した。しかし、そこは既に更地になっていた。
卒業後、少ししてバブルの仇花が咲き、膨らみ、そして、バブルの泡は弾けた。
その後の失われた10年、いや20年・・・その中で時代に淘汰されてしまった湯田温泉街のホテルも少なくないはずだ。
山口は亀山時代は勿論、平川時代になっても学生を大切に、そして優しく育ててくれ続ける町である。
今もっても、感謝、感謝です。
(岡山支部 B)
岡山支部Bさん 投稿を拝読 学生時代のアルバイト先が湯田温泉にあった温泉旅館「M屋」だったとか。そこでの「フグのフルコース」の思い出。その当時の学生さんにとっては今でも忘れられない最高の味覚だったのでしょうね。山口県では「ふく」(幸福のふく)といいます。今の時期、本場の下関では最高のおもてなしでしょう。ところで、フルコースで、最後のしめは必ず「おじや」です。この「おじや」別腹で食し、余韻を残しながら頂けます。この味を忘れてはいけませんね。さて、私が東京で勤務しているときに、年末になると忘年会で「ふく」料理を必ず食したものです。それは日比谷線の入谷の近くにある「魚直」です。一人1万円あればたらふく食したものです。ここのトラフグ(?)は下関からの直送便だと話していました。もう30年前の話でしょうか?懐かしい思い出です。 学部17期 Myz(現在2015年4月にUターンして宇部市に在住)