教養課程の授業の思い出 憲法・西村先生

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】  

これまでこのシリーズでは語学の授業を中心に書いたが、語学のほかにも想い出に残る特徴的な授業があった。

◆憲法 西村先生の「ばやい」連発

清潔感溢れるきちんとした身なり。ポマードの利いた髪。下あごが少し張り、意思の強そうな面相。そこに三つ揃えのスーツ。よくお似合いだった。

今から思えば年の頃は50代半ばだったのだろうか、髪は細り、頭頂部は地肌がかなり見えていた。

この先生は、授業で「場合(ばあい)」いうところを「ばやい」とおっしゃる。

自信ありげに連発されるのだ。

「経済」同様、高校までは習わなかった「法学」。

この法学に特有の読み替えなのであろうか。

あるいは、あいまいさを避け、明確化するための先生独自の読み替えであろうか。

いや、ただの年配者の特有のクセなのか。

それとも地方の訛りということも考えられる。

発音しやすい先生独自の単なる癖か。

こんな疑問を先生にぶつけるわけにもいかない。

しかし、連発される「ばやい」がどうしても気にかかり、講義の中身が頭に入らなかった。

◆辞書を引くと・・・

後々の話だが、広辞苑によれば「ばあい」は「ばあい」の読みの訛りとあった。

インターネットで調べると「古い時代の方言調査では埼玉県、東京都、岐阜県、三重県、和歌山県、島根県、愛媛県」という解説もあった。

関東以西であるが、土地と土地の繋がりが見えてこない。

西村先生もそうしたところで育った方かもしれない。

九州や山口、愛媛でもそうした訛りは聞いた覚えがない。

◆新鮮さと戸惑い

中学・高校とは違い、親元から離れての生活の始まり。

各県・各地から集まった生徒同士や先生たちとの出会い。

新たな世界、新たな繋がりの始まり。

高校までの教科にはなかった「法律」の授業。

そこには最高学府で新たな世界を学ぶ新鮮さと同時に、目を凝らせど辺りが暗く、置かれた環境の全体図が見えてこない中で、意味のない、いや、意味がないかどうかも分からない些細な戸惑いがいくもあった。

(学23期kz)

コメントを残す