幕末の英仏在日公館  その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 7月トピックス】  

幕府・親藩、譜代大名と薩長のような外様雄藩との間で覇権争いが続く中、諸外国は開国後の日本の主導権を握ろうと、日本の成り行きを注意深く観察し、関与の度合いを深めていこうとしていた。

幕末の日本。

それはそれで飽きない面白さがあるが、こうした国内の動きと合わせて、我が国への関与を深め始めた海外列強の動きを重ね合わせてみると、立体的な歴史の絵柄が見えるような気がする。

動きを見せていたのはロシア、アメリカ、イギリス、フランス。

アメリカは1620年に東海岸に着いたピルグリムファーザーズたちが、瞬く間に西海岸まで勢力下に収め太平洋を越えて日本、アジアを目指していた。

また、欧州の大国もインド、中国、インドネシアを押さえ、日本に近づいてきていた。

この時日本は“いわゆる鎖国”の状態で、欧米諸国には「未開の大国」と映っていたはずだ。

ただ、幕末、すなわち明治維新直前について各国の事情をみてみると、米国は南北戦争やリンカーンの暗殺事件といった混乱期にあり、またロシアはクリミア戦争の敗北から国内で農奴解放などの改革を余儀なくされ、国内事情で手一杯であったようだ。

欧州では英仏対立が生じていた時代であり、両国は我が国への関与においても主導権を争っていた。

 

◆フランス公館

フランス公使ロッシュは幕府に近づき、日本の貿易を独占しようと図っていた。ロッシュは諸藩に対する幕府の支配力強化を願っていた。ロッシュは将軍慶喜に対し、薩摩は生麦事件で外国人に斬りかかり薩英戦争を起こし、長州も外国艦隊を砲撃したが、こうした事件をきっかけに英国と繋がった薩長の動きを警戒するよう進言している。

また、ロッシュは日本からの輸出品、当時は品質が良く、世界の中で競争力を持っていた生糸の輸出に当たって相談にのり、貿易金融や輸出先開拓等各種便宜を図っている。

しかし、ロッシュの情報源がいけなかった。日本語の通訳や情報の入手先は通訳カション神父やセジラール神父に頼っており、大政奉還時は熱海でリューマチの治療に出かけていたことからも分かるように、情報収集の体制構築に甘さがあったようだ。

カション神父は日本語が相当流暢に話せたようで、フランスを頼って幕府を建て直そうとする外国奉行栗本鋤雲(じょうん)などの幕閣と近づく。しかし悪徳めいたことも陰でやったようでもあり、人物としては栗本さえからも「小者だ」として高くは評価されず、西郷隆盛はカション神父のことを何と「奸物」、勝海舟は「妖僧」とのレッテルを貼っている。

◆イギリス公館

その点、通訳でもあり優秀な日本通の書記官アーネスト・サトウを使っていたパークスは強かった。

17世紀に日本にやってきたオランダ東インド会社のドイツ人医師ケンぺルが著した日本に関する書物「日本誌」では「タイクン(大君・将軍)」が国のトップであり、これまで「ミカド」は精神的・宗教的な君主にすぎないとされた。しかし、薩長が付いた「ミカド」は名目的な存在から政治的なトップに性格を変え始めており、「ミカド」とそれを支えながら、倒幕を目論む薩長がこの先、国の主導権を握るとみて、薩長に傾いていく。

つづく

(学23期kz)

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