「日本人論」の欠片 その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 8月トピックス】  

◆日本人って・・・

難しい。

多様で多面的、百人百様誰しも自分なりの見解あり

私も私なりに興味があった。

いや、むしろこれまで興味を失わなかった問いの一つと言える。

これまで私の身近に起こってきた断片的な体験をもとに、思いついてきた自己流の日本人論について暫定的に書き留めておくことは、頭の整理として悪いことではない。

こうした作業はすべてがご破算になる認知症が発症する前に早く取り掛かる方がよいかもしれない。

日本(人の)優れた面、特異な面、あいまいな面これらが「てんこ盛り」の感がある日本。

あれこれ考えるだけでも面白い。

・・・タッチーな問題、例えば思想信条、政治、宗教、憲法、安全保障、軍事、核などについて正面からとり上げるのはのはヤメトコ。恥ずかしながらこれらの問題を扱えるだけの勉強量が不足しているので。

◆日米比較

日本は和の国だという

また、アングロサクソンの代表の米国は競争の国だという。

ほんとにそうか。

日本と米国で様々な課題に立ち向かうときに、どのような違いがあり、どちらがどのような利点を有するのだろうか。

◆日本は和の国か

テーマを逆に設定してみよう。

日本では競争がないか。

そんなことはない。企業ではライバル企業との間で激しいシェア争いを展開する。

少子化の中で、また国際競争が激化する中で、企業でも優秀な社員を獲得したいという誘因が働く。会社に入ってからも激しい出世競争が繰り広げられる。

また、教育機関大学でもそうだ。優秀な人材の取り合いがある。学習塾から予備校、大学。そこでは優秀な生徒を取り合い、激しく競争している。

◆一歩引いて眺めてみると、日本の競争は、競争の質として、「同質の者同士の競争」をしている感がある。趣味嗜好が同じであるが故に、競争は激烈になることになる。

ここでは異質、個性、種の違いは、そもそもさほど重視されない。

むしろ教育の世界ではこうした異質な者、すなわち強い個性を持つ者、優秀であっても、教室で教える先生が管理できない者たちは排除されてきたのが実態ではないか。

出来の悪い生徒然り、また、たとえ先生の知能を超えた優秀な子供もそういう運命にある。管理できないからだ。

つづく

持論、異論、試をお聞かせください。特に在外経験の長い方々、ぜひ。)

学23期kz)

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