「日本人論」の欠片 その5

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 9月トピックス】  

◆詰めない日本人

日本人はとことん詰めることが苦手なような気がする。いいとこまで詰めても最後の最後で緩むことが多い。

その点藤井聡太八冠は立派だ。

最後まで徹底的に詰めて、勝ち切る。

この「勝ち切る」というのが難しい。

その王者藤井でも勝が見えた時に緩んで逆転、伊藤匠に「叡王」の冠を剝がされた。

麻雀でもそうだ。最後まで勝ち切るというのは難しい。

緩むと、アッという間に流れが変わる。本当に不思議なことだが。

スポーツでもそうしたことが起きる。

先場所の大の里も然り。若隆景との一番で、勝ちが見えた瞬間に腰が浮き土俵を割った。

その意味では、大谷君は立派だ。

環境条件が変化し、会社を始め政府を含めた各種組織を見直し、状況に応じた新たな仕組みを作る作業は万国共通だが、各所で日本の取り組みの遅れがちだ。

必要な改革や今後とるべき対策が前に進まない。

政治改革、行財政改革、大学改革、年金改革や地方の過疎化、少子高齢化、環境問題、男女格差などへの取り組みなど課題の多いニホン

前に進まない状況が何十年も続いており、新たな転機が見いだせない。

なぜだろう。

◆PDCAの落とし穴

改革論でよく出てくるPDCAサイクル

しかし、よく見ると各段階で落とし穴があるようだ。

一般論として言えば、立派なプラン(P)を作ることにかけて、日本人は引けを取らない。

周辺部局、関係団体、関係省庁と折り合いをつけたうえで、見直し案、実施計画、総合対策、意欲的な改革が提示される。

総花的で、立派なプランだ。

また各種報道でも「計画」は大きく取り扱われる。

問題はここからだ。

改革案を作った段階で満足し、息が切れたのではないかと思えるくらい、後の作業には力が入っていない。

計画を作ったことで実施したような錯覚が生じているのではないか。

また、総花的であるだけに、見栄えのよいフレーズが並ぶ。

しかしここで書かれたプランは、現場に適合した実行可能なプランか否か検討されていない場合があることに注意が必要だ。

(学23期kz)

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