幕末、外国人に映った日本の日常 ④L.オリファント

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】  

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2024年10月 トピックス】    

ペリー来航に伴う日米和親条約、ハリスの日米修好通商条約締結後、通商条約締結のため、蘭・クルチウス、次いで露・プチャーチンの次に英国がやってきた。

国を代表した条約締結当事者もさることながら、その当事者に秘書官兼書記官と仕える者には、冒険好きで、観察眼が鋭く、筆に自信がある物書きが多い。

◆ベストセラー作家・オリファント秘書官

英国から派遣されたエルギン卿に随行して清国に駐在後1858年8月に来日したローレンス・オリファント秘書官もその一人で、海外に赴任していた父の関係で世界各地を回っており、ネパールでは「カトマンズへの旅」を書きベストセラーに、ロシアに行った際に書いた「黒海のロシア沿岸」もベストセラーになった。

彼が書き留めた日本の情景は「エルギン卿 遣日使節録」(オリファント著)として残っている。

当時の日本が英国人の彼らにどう映ったか、本音の心情も記されており、飽きさせない面白さがある。

◆日本の印象

オリファントはエルギン卿に伴って清国から日本の長崎に入るが、そこで見た長崎は

・深い入り江、突き出した絶壁、それを覆う緑の丘。また造園の腕は世界のどの国よりも優れていた、としている。

・江戸に入ると群衆はものめずらしさに(英国人一行を)一目見ようと老若男女が集まり、入浴中の男女も素っ裸のままで戸口に集まっていた

・見物人は下層階級のようで、男たちは見苦しくない衣服を着ていたが、女たちは最高に醜かった。真っ白に塗った顔、毒々しい紅い口紅、剃り落とした眉、そして黒く染めた歯。でも化粧していない若い娘たちは清の女性たちをはるかに超える美しさがあった。

・役人の姿・・・袴、足袋、二本刺しの刀、髪型に驚く。

また、充てがわれた宿舎では、畳に上がるたびに草履を脱がなければならず、これが実に不便で、面倒。草履のまま畳に上がった。

・江戸の町について

驚くほどの秩序で保たれており、人々の相互監視で成り立っている。このため役人も決して買収されない。

個人が共同体のために犠牲になる日本では、人々はみな幸福で満足しているように見える。アメリカは正反対。

こうした日本は、清国はもちろん、欧州の国々も見習うべき。

◆条約締結作業をした日本の役人

江戸に入る前に下田に寄り、ハリスと通訳のヒュースケンに会うがそこで彼らから日本人の温厚な性格や魅力的な天性についての話を聞く機会を得たとしている。

実際、条約締結の当事者となった5人の日本側役人についてのエピソードがある。

その5人とは・・・

永井玄蕃頭(尚志)

岩瀬肥後守(忠震)

井上信濃守(清直)・・・川路聖謨の実弟

水野筑後守(忠徳)

堀織部正

彼らを聡明で、教養があるとしている。

彼らはジョークを理解する力がある。彼らは多くの困難をジョークで解決しさえする。中でも岩瀬はジョークの天才だった。しかし仕事の時には彼の指摘はいつも鋭く、的を得ていたという。

また、日本人の気質について、日本人は新しい知識を取り込むことにとても積極的で、誰かが得た新しい知識をすぐに他の者が学ぼうとする。この気質は清国人と大いに違う。

また、今後の公式の場での使用言語について討議したことがあるが、その時、日本側から「あなた方は英語を公用語とした方が良い。日本語を習得するのに時間がかかるから。我々なら5年で英語を読み書きする力をみにつけることができるから」と言われたという。

彼らはハムとシャンパンが好物で、昼食時は「ハムに向かって驚くべき攻撃をしかけた」としている。

条約締結はハリスの通訳のヒュースケンが加わったこともあり、順調に行ったようだ。

◆日本との別れ

日本を離れる間際に彼は言う。

「僕は1年間清国で過ごしたがすべて日本の方が勝っていた。日本人に国際上の教訓を教えるには清国に対してのように武力を使う必要はない。日本人は慧眼で聡明なので道義的に感化する方がずっと効果的で幸福な結果をもたらすに違いない。

素晴らしき国、日本よ!

僕は必ず君のところに戻って来よう!」

◆日本へ再任

彼は日本がとても気に入ったようで、31歳の時に英国公使館一等書記官として、晴れて日本再訪を果たす。

しかしその折、残念なことに英国公使館員を襲った東禅寺事件が起きる。

攘夷に燃える水戸藩士が公使館員に刀を振るったのだ。

運悪く、オリファントはその攘夷の刀で負傷した当事者となってしまった。

その傷は後遺症が残るほど深いもので、このためオリファントは本国への帰国を余儀なくされる。

しかし、こうした事件があってもオリファント君は、本国に帰国後、日本嫌いにはならなかったようだ。

一命をとりとめたほどの殺傷事件に巻き込まれた彼だが、帰国後に日本の使節団と会って彼らのために尽力している。その彼がよほど日本が気に入ったのだろう。

若き日のオリファント君、誠に申し訳ないことをした。

こうした事件にあいながらも日英の交流に尽力してくれたオリファント君、ありがとう。

(学23期kz)

Laurence Oliphant

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