「金利のある世界」が始まって思い出すこと

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】  

宇部・山陽小野田支部・MYZ(大17期)さんからの投稿〉

日銀は7月31日の金融政策決定会合で政策金利を0.25%に引き上げることを決定した。前黒田日銀総裁が進めてきた異次元の金融緩和策からの決別である。日本もいよいよ金利のある世界(正常な金融市場)に戻ったのである。しかし、この十年間金利ボーナスの世界にはまり込んでいた国の財政は、これから相当の覚悟が求められる時代に突入したのであろう。

私の脳裏には、1978年7月、私が大手金融機関の証券部に転勤となり、証券の世界に足を踏み込んで数年後の1980年に始まった「ロクイチ国債」の暴落の記憶が蘇った。国債の大量発行は1975年に始まり、「ロクイチ国債」も約8.8兆円発行されていた。当時はオイルショック後の景気後退によって税収不足が生じ、赤字国債を含む国債の増発を余儀なくされたのも要因の一つとされている。

しかし、1978年頃から景気回復軌道が確認され、折しも国債の流通利回りは急上昇し1980年4月には長期プライムレートは9.5%まで上昇したのである。「ロクイチ国債」の暴落は当然のことだった。

さらに銀行に追い打ちをかけたのは金融市場で間接金融(融資)から直接金融(市場)へと大きな流れが始まってきた時期でもあった。

銀行業務と証券業務の相互乗り入れには様々な法的規制があり、銀行は、直接市場に参加できないジレンマに陥っていた。当時の国債発行は引受シ団方式が採用され、銀行はあくまでも投資家の一員として証券会社から国債を購入し大量に保有していたため、この暴落の影響は多大であった。国債の流通市場に参加できていなかったことが大きな要因であろう。銀行の投資業務への危機感は相当なものであったと想像する。

そのことも関係しているのか、1985年6月に銀行にもフルデーリングが認められた。2006年には国債の引受シ団発行方式が廃止され国債市場特別参加者制度(日本版プライマリー・ディーラー制度)が創設され入札による公募方式で国債は発行されている。

翻って、今日までの政策金利の動向は少なからず日本の金融市場に大きな影響を及ぼしてきた。バブルの発生から崩壊、そして様々な要因による国債の増発は金利ボーナスを享受した金利体系の中でその歴史を繰り返してきた。

今回の「金利ある世界」へと舵を切った日銀の植田総裁、これからの日本金融市場をどのように導いていくのかその手腕に期待したい。さらに国は国債を如何にして安定消化(日銀買取額減額及びプライマリーバランス黒字化)して国の財政を運営していくのか見極めていきたい。

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