懐かしのランチスポット再訪 蕎麦屋 志な乃

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年8月 トピックス】

◆人気蕎麦屋 「志な乃」

都道301号の愛宕下、愛宕通り沿い(白山・祝田・田町線)にあった手打ち蕎麦屋。

職場からは1キロ近くあったが、先輩に連れられ、節目・ふしめに通った。

九州育ちの私は、ソバではなくうどん派。

社会人になりたての頃は東京のソバに馴染めなかった。

一般的に蕎麦は東。

寒冷な気候で地味のやせたところでも育つ蕎麦。

西はうどんだ。

小麦は温暖な気候に育つ。「関西うどん」というし、四国もうどん県の香川をはじめ、うどんが幅をきかせている。九州もうどんだ。

◆強いコシ

「志な乃」というくらいだから「信州そば」だろうか。

志な乃の麺はとにかくコシが強い。

「ハリガネ」にも似て、妥協を許さないとでもいうような堅い食感。

見かけはハリガネというより、「銅線」に近いかな。

昼に食べると夕方まで腹に原型を留めて居座っている思えるように腹持ちがいい。

また、けんちん汁もこの店の名物。

この店の人気メニューが「合い盛り・けんちん」だ。

合い盛りとは、ざる蕎麦とざるうどんの合わせ盛りのことで、この合わせ盛にけんちん汁を追加注文する。

冬はもちろんのこと、夏でも「アイモリ・ケンチン」と注文するのが流儀。

1000円から1100円くらいの時代が長かったように思う。

◆「にほん」を味わう・・・

ここの蕎麦を啜ると、なんだか「祖国・にほん」を味わう・・・とでも言えるような気がした。

大げさな話だが、特に海外赴任や海外出張の前に、また成田に着いた後に、足を運んだ時が多かった。

万が一、日本の土を踏めなくなっても・・・思い残すことは・・・。

そうしている先輩・同僚も少なからずいたように思う。

私が日本を味わえると感じるスポットと言えば、都内では山縣有朋の邸宅だった椿山荘、もう一つ都下では

八王子、奥高尾の里山にある「うかい鳥山」だ。

しかしこうしたところは職場からも、自宅からも遠く、安月給の私が気安く行けるところではない。

昼飯時に、手っ取り早く「にほん」を味わえるのが「志な乃」だった。

この店、昼時は混む。

いつも14~5人が店の外まで並んでいた。

それでも目当てのメニューを前にした至高のひと時を心待ちにして順番を待つ。

店の奥には3から4人の職人、配膳は女性3人でてんてこ舞いの忙しさだった。

◆店舗移転

かなり前に蕎麦屋が移転することになった。

「付近一帯の再開発」が移転の理由で、職場から通えそうにない遠くへの移転だった。移転先が貼ってあったが、職場から通えるところではなくなったため、仲間内では「志な乃」の話も全く出なくなった。

◆再訪

最近、ちょっとしたきっかけで、移転した「志な乃」を見つけた。

東京タワーの近くで、最寄り駅は大江戸線の「赤羽橋」。

元あった愛宕下の店から500メートルほど三田・田町方面に下ったところにあたる。

店舗は通り沿いではなく、大通りから二筋入ったところに控え目な看板が出ていた。

先日、数十年ぶりに転居先の「志な乃」の暖簾をくぐる。

「アイモリ・ケンチン」で注文が通る。

店は、奥に主人(と、もう一人いたか)、配膳は感じの良い年配の女将さんの若干名で回している。

当時と比べて、蕎麦もうどんも量はやや控え目。

けんちん汁のお椀も小振りになっていた。

蕎麦と、うどんと、けんちんと。

バランスよく箸を三角形に運び、最後の掬いで皿がすべて空く。

ふう・・・ごちそうさま。

合掌。

◆女将さん

最近3度アタックして、ようやくありつけた。

1回目は水曜に訪問。コロナ以降に加わった定休日でアウト。

2度目は忙しい昼時を避けて1時過ぎに暖簾をくぐるも、「けんちん」売り切れで、これまたアウト。

3度目で、晴れて「アイモリ・ケンチン」に辿り着けた。

1600円。

勘定を払う際、2度のアウトを喰らった小生に「申し訳ないことをした、あれからずっと気になっていた」と言い添えてくれた女将さん。

心優しい女将さん。

蕎麦の後に、もう一度「にほん」を味わえた。

(学23期kz)

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