伊藤博文公・墓前祭に参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】

◆昨日、西大井の伊藤博文公墓所で行われた墓前祭に参加した。

墓前祭は毎年、伊藤公の命日である10月26日に行われ、今年は土曜日の開催となった。

伊藤公が倒れたのが明治42年(1909)のその日、黒竜江省ハルビン市でのことだ。当時68歳。

◆伊藤公は能吏タイプで根回しがうまかったという。吉田松陰も伊藤を「周旋屋」と呼んでいる。

名の通ったある歴史通によると、「伊藤公は大きなビジョンを持ち、企画し実行するタイプではない。当時の日本の大きなビジョンといえば開国・富国・強兵であり、こうした路線は阿部正弘-大久保利通が描いた路線だ。伊藤公はその路線の上をうまく走った。」と指摘する。

憲法を制定し、初代内閣総理大臣になり、立憲政治を定着させ、日本の近代化に貢献した伊藤公。

◆式が無事に執り行われた後に、斎主である伊藤公の生誕地・光市の束荷神社の森重宮司が、ひとこと述べられた。

「大河ドラマに伊藤公が取り上げられないのはなぜか。私なりに考えると伊藤公を取り上げたら1年の大河ドラマでは収まらないのではないか」と。

◆式に参列した女性の脚本家がいた。

その方は現在伊藤博文公の脚本を書いているところという。

山口県人ではない。

秋田の方で、高杉晋作に惚れ込んだのが山口に興味を持ったきっかけで、山口の偉人の脚本を書き、ご自身も舞台に立っているという。

日本酒が好きで、やはり秋田の酒が良いという。

「一推し」が「雪の茅舎」、次が「山本」とのこと。

近くの全国酒造組合の重鎮の「押し」も「雪の茅舎」、次が「山本」と見事に一致した。

なお、今回の墓前祭に際し蔵元から奉納された酒は、原田、貴、東洋美人、獺祭、五橋であった。

(学23期kz)

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