逆境下の文教施策 毛利の殿様 その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

◆江戸後期、各藩では財政難に取り組み、各種藩政改革を行なった。

なぜ財政難が起きたのか。

5代将軍綱吉時代(1680~1709年)年の浪費が大きいようだ。

宝永5年(1708)年綱吉死去の前年、幕府の収入は60~70万両、歳出は140万両とされる。

これは綱吉特有「お犬様」への支出の他、広大な神社造営、気前の良い家臣への加増、「御成」(臣下の屋敷訪問)への土産代のほか各種催しなど、綱吉公の希薄な金銭感覚によってもたらされた財政逼迫だった。

また、綱吉公時代には特殊要因があったことも不運だった。

1707年の富士山噴火に伴う不作・災害復興資金の他、幕府直轄の鉱山の採掘量減少、長崎貿易による金銀の流出、貨幣経済の浸透による財政支出の増加なども財政悪化の要因に加わった。

この中で、財政改革に取り組むことができる優れた人材を供給すべく、教育改革が藩政改革の大きな柱の一つとなり、各藩では相次いで藩校が創設された。

長州藩はどうであったか。

ちょうどこの時代に明倫館が創設されている。

第5代・毛利吉元(1677~1731)の時だ。

このため、毛利吉元は「長州文教の祖」とされている。

つづく

(学23期kz)

徳川綱吉

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