年の瀬に聞く「俵星玄蕃」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年12月 トピックス】

三波春夫が歌った俵星玄蕃。

三波春夫より上手いと思う街中のカラオケスナック店で歌う年配の方がおられ、聞き惚れてしまう。

YouTubeで聞くと、歌の神様であるはずの三波春夫もたびたび音程を外しているが、その方は音程を外さなかった。

サビの口上も、声の出し方といい、間のとりといい、強弱のつけ方といい、見事。

(あれだけ歌えたら、さぞ気持ちが良かろうなと、唸ってしまう)

◆槍の名手「俵星玄蕃」

俵星玄蕃は後年に講釈師が創作した逸話とされるが、よくできた話だ。

第3回長州歴史ウォークでは赤穂浪士で語られる史跡を巡った。

四十七士の一人、杉野十平次(次房)は有名だ。

槍の心得があった杉野は、吉良邸討ち入りのため、夜鳴き蕎麦屋に身をやつし、吉良の家来に取り入り屋敷の様子を探る。

そうしたさなか、吉良邸の近くの俵星玄蕃の槍道場で、玄蕃の門下生からも杉野の夜鳴きそばの人気が高くなり道場に呼び入れられ、道場主・玄蕃との交流が始まる。

(玄蕃の槍のさばきを観る杉野の眼付から、玄蕃は杉野が槍に心得のある者だと気づく)

玄蕃の心情は討ち入り組に近かったが、吉良側から従者として仕えるよう話を持ち掛けられたと杉野に漏らす。

相手は槍の名人、俵星玄蕃。玄蕃が敵となれば厄介なことになる。

杉野からこのことを聞いた大石内蔵助は一策を講じ、玄蕃を偽り、加賀藩から400石で仕官する手はずが整ったことにした。こうして玄蕃と赤穂浪士が敵対することは避けられた。

或る晩、「ひと打ち、二打ち、三流れ」討ち入りの山鹿太鼓が聞こえたために、助太刀しようと玄蕃が出向くとそこで黒装束の討ち入り姿の杉野と出会う。

あの場面だ。

「先生!」

「おうっ、蕎麦屋か!」

玄蕃は吉良勢の加勢を両国橋のたもとで石突き突いて、大手を広げて叫ぶ。

「赤穂浪士を邪魔立てするものは、何人たりとも通しはせんぞ!」

後日、泉岳寺で大石内蔵助と俵星玄蕃が対面し、大石が加賀藩の召し抱えの話は作り話だったと詫びる。

後日、この話が加賀藩の耳に入った。

加賀藩は「忠義の士の話を嘘にしてはならぬ」とし、俵星玄蕃を400石で加賀藩に召し抱えたという。

◆「俵星玄蕃」の歌

ひとつ気に食わないサビのくだりがあり、どうしてもなじめない。

「時に元禄十五年、十二月(じゅうにがつ)十四日・・・」

しっくりこない。

やはり、昔覚えた口上、

「時は元禄十五年、師走半ば(しわすなかば)の十四日・・・」

こうじゃないと締まらない。

(学23期kz)

コメントを残す