山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年1月 トピックス】
第5回長州歴史ウォークでは森鴎外の旧居跡・観潮楼を訪ねた。
森鴎外は石見藩の医者の子で3歳も年を偽り、歳若くして東大の医学部に入学し、しかも立派な成績で卒業した。
軍医で最高位まで登り詰めると同時に、多くの文学作品を残している。
やはり東京の医者の息子で東大医学部に入いり、医者稼業と同時に文学(俳句)の世界に身を投じた者に水原秋櫻子がいる。
森鴎外より年が30歳若い。
夏目漱石の門下生・芥川龍之介と同い年に当たる。
秀才森鴎外とは異なることは、自らが告白している。
以下は昭和38年8月「私の履歴書」(日本経済新聞社)から。
・一高に三度目の受験で合格
・数学が一番の苦手で、物理も苦手
・一高では野球部に在籍し、プロ野球の大ファン。当時のメジャーリーグにも通じていた
・もともと医者になることに気が進まず、絵画や芝居にも大いに興味があった
こう来ると、鴎外よりも秋櫻子の方が親しみが湧く。
秋櫻子の専攻は産婦人科。産院では皇族を多く取り上げたという。
◆ホトトギス
秋櫻子は東大では俳句部に在籍し、正岡子規の雅号「ホトトギス」に因んで松山で創刊された俳句雑誌ホトトギスを引き連れて東京に出てきた高浜虚子の門下生となった。
高浜虚子といえば盟友河東碧梧桐とともに、同郷・松山の正岡子規を師と仰いでおり、秋櫻子もホトトギスにつながっている。
夏目漱石はどうか。
漱石は正岡子規と東大の同級生。
漱石が松山中学に赴任したとき、漱石の俳号・愚陀仏に因む漱石が住居とした愚陀仏庵に子規が押しかけ、子規が1階、漱石が2階に住み、2か月ほど寝起きをともにしたほど、漱石と子規は昵懇の仲だ。
彼らはいずれも写実派で、ホトトギスに句を寄せた。
夏目漱石が「吾輩は猫である」、「坊ちゃん」を発表したのもホトトギスだった。
◆秋櫻子の句
秋櫻子は一日の吟行で50句くらいは作っていたという。
秋櫻子の椿の句をひとつ。
一輪の 椿にむかひ 雨をきく
この句を18期の田口先輩が書にし、大会で大賞を受賞している。
【写真参照】
(学23期kz)
田口先輩の書、素晴らしいですね。