山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年1月 トピックス】
<岡山支部・岡山Bさんからの投稿>
◆実姉から実姉から44年間使ったミシンが壊れたので、修理に出し、治ってきて、また使えると連絡があった。このミシンは姉の結婚祝いに学生の身分であった自分が贈ったものだ。
今は昔で、ネットで検索すると当時の定価では208000円とくる!(商品の謳い文句も”コンピューターミシン”とくる(笑))勿論就職もしていなかった当時の収入源はアルバイト代であろう。
◆昔の記憶と時系列的に少し最低賃金(最賃)の統計を拾ってみるとその価値がわかる。
中国地区の平均的な最賃でざっくりした時給の金額でとらえると、80年代初頭は380円、500円台になったのはバブルの頃の90年になってくる。今の時給が1000円に届こうとする時代とは隔世の感がある。
微かな記憶では80年代初頭のほとんどのアルバイトの時給は400円が相場であったような記憶がある。ホテルの皿洗い、布団敷・片付け、調理場板場の盛り付け、放送局の取材助手、夏のビアホールの配膳係、引っ越し応援(県庁新庁舎へ)。。。
◆当時別格の高給取りは「家庭教師」という部類があった。当時から学部指定で家庭教師を求人される親御さんが多く、中でも医学部生は別格として、教育学部、文理学部以外の他の学部でその職種にありつけることは稀有であったような記憶もある。(80年代)
たまたま出会った家庭教師のバイトは月15000円(月8回*1時間)!ざっくり時給換算すると1875円。破格である!その上、バイト終了後はおコーヒーかお紅茶にケーキ付と言うちょっとした喫茶店?であった。
そのバイトは10カ月ほどの期間であったが、高校入試合格に向けての依頼であったので、その目標貫徹に力を注ぎ、そして成果は出た。
◆今にして思えば、その「家庭教師」のバイト料から基礎財源を作った上に、長期の休み期間にバイトしたものをプールして、姉への結婚祝いを準備したのであろう。
44年経過しても修理できる業者、また使えるミシンにも感謝、そして、全国転勤族の妻であった姉が何よりそのミシンを捨てずに大切に使い続けていたことに感謝!
◆今のミシンの価格は、自転車のそれと同じように同等機能のもので、4万円以下で購入することが出来る。(技術革新やらグローバル競争の中での価格破壊か)
きっと今回は修理する方が新規に購入するより経費が掛かったことも予想される。(しかし、尋ねたりするのは野暮だから上記の三つに感謝するだけに留めよう)
◆値段の付けられないものに「思い出」と言うものがある。職務経験から輸送事故の補償では、壊れたもので代替えできるものは、対応は容易だが、思い出のアルバムの紛失、棄損と言った部類の「思い出」への対応は特に難しいと聞いたことがある。このミシンの修理は姉の中では「思い出」への出費なのかもしれない。
耐用年数から言ったら、既に備忘価格に過ぎない価値の”44年目のミシン”、されど他にはない”44年目のミシン”である。
蛇足)昨今賃上げ、初任給の大幅な上昇が話題になることがある。上記比較と同じように同じ時系列で、大卒初任給をざっくりとした金額で拾ってみておこう。
80年115,000円85年140,000円90年170,000円、93年には19万円に乗り、2008年には20万円台に乗る。今春の初任給平均は239,000円とも聞く。
先進国労働者の国際賃金比較をすると決して上位に位置する地位にはない日本ではある。
宇澤弘文先生には社会的費用が大きくかかっていると叱責されるのを覚悟して記載すれば、74年には78,700円が75年には89,300円と言った賃金上昇も経験した日本経済であった。
(岡山 B)