悪しからぬ、良き輩たち

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆期末試験中に急襲!

80年代の多くの経済学部生は、4年生になる春前にはゼミと卒論を残すのみで3年生3月末を迎える流れがあった。それだけに3年末の後期試験で如何に単位をそろえておくかは重要であった。

3年生の後期試験の勉強を電気こたつで勉強していた時の思い出…

農家の離れの二階にあった下宿、その周りには、ゼミの先輩の下宿も多くあった。一方、先輩との直接的交流は歓迎コンパ、追い出しコンパ等に限られていた記憶がある。しかし、登校した折に偶々出会ったゼミの先輩にはきっと“礼”を欠くことはなかったであろう。

ある夜半、何やら二階の下宿の部屋につながる階段下で誰かが、何かを騒いでいる?それから少しすると、明らかに数人がその階段を駆け上ってくる! また、何かのおちゃらけで同級生がやってきたのかな?と思っていたら、下宿のドアを荒々しくノックする輩!(ここからはあくまで輩なのである(笑))

ひょいっと空いた隙間から顔を覗けたのはゼミの先輩、、、既に4年生で就職が決まって、4月からの社会人生活を待つのみ。余裕の上に余裕が胡坐をかき、余裕をかましているゼミの先輩たち。。。(4月から背広を着ると、超大手のゼネコンO組、秤のNo1企業T精工、当時10人前後が毎年就職していたY銀行、卒業生が多く進んだH系のメーカーへ進んだ輩たち)

「ストーム!」って声を出され、押し入ってこられた。少し談笑したら、飲みに行こうと連れ出され、また近くにあった同級生の下宿に…今度はミイラ取りがミイラになって次の同級生の下宿を急襲!多くはいなかったかもしれないが、当時の学生特有の、少しおちゃらけ気分を満喫した。そして、その拘束時間は、決して長い時間ではなかった。

心配される試験の結果は?ちょっと大げさに言うと前夜の乱痴気騒ぎもものともせず、そんな中でも試験を翌朝には何食わぬ顔で平川校舎に向かう逞しさ!そして、単位も取得できていた。

◆40年近くたって思うには、文面だけではとんでもない輩たちもいろいろ配慮をされていた感がある。先ず見境なく訪問先を選んでいない。また、急襲する後輩下宿もそこそこ単位が揃いつつある後輩を選んでいそうだ。そして、そんなことが翌朝の試験に影響しそうな後輩は選んでいないのではないか?

更に、試験の結果からしても翌日試験の結果に前日の勉強が影響しそうな科目の試験日は選んでいなかったようだ。

あくまで士魂商才を校訓とする山口は、後輩を少し弄るときも士魂商才だったのかもしれない。

共に大学生活、下宿生活、ゼミの先輩後輩の関係を楽しもうと言う魂胆が見え隠れする。(笑)

その輩たちの首謀者は、超大手のゼネコンO組に就職された人に間違いない。これは確信に近い。そして、その声掛けに大乗り、悪乗りされた先輩3名。

◆しかし、30数年位たって同窓会で会うと立場が逆転?するから面白い。勿論、先輩は先輩ではあるが、超大手のゼネコンO組の先輩は一流企業サラリーマンとしての社会的縛りが遠因か、今ではどこまでも紳士なのである。一方、30数年のうちに体重は25kg増量、人相は強面、そして、べらんめい調でもやっていけるメーカー育ちとなっていたのは自分。

ビール瓶の首を持つと先輩に若干無理強い的な雰囲気も含め、おちゃらけて、笑いながら「飲め!」と言う。そして、集合写真でも、肩をそっと組むと言うよりは、少々乱暴に肩を抱え込むぐらいの勢いで先輩方の肩を鷲掴みしている写真が残っている。

山口を「心のふるさと」とする鳳陽会の同窓の友垣は、学生時代はもとより、数十年経っても相変わらずの友垣である。そして、どこか紳士でどこか荒くれもんで、そして、それまで各人が歩んできた道程の喜怒哀楽を共にし、今も昔も楽しめる友垣である。

岡山 B

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