日本人論の欠片 その17 きょろきょろ論③

 山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

学23期kz

◆真逆への転換

先の大戦が終わり、これまで「鬼畜米英」としてきた進駐軍に対して、学校の先生の態度が真逆に変わった。

報道機関の論調も激変した。今になって振り返れば、戦時中は反戦を唱えるどころか・・・、書く必要もないだろう。

民衆もギブミーチョコレートとなった。

これをどう評価するのか。

変わり身の早さというだけでは片付けられない。

主義主張が変わったのか。

主義主張がこんなに簡単に変わるものなのか。

いや、もともと確たる主義主張が本当にあったのかと問わざるを得ない。

こちらの風が吹けばこちらに靡(なび)き、あちらの風が吹けばあちらに靡く。

こう書けば、主体性がないように聞こえる。

本当に主体性がないのか、日本人は。

しかし、個人個人に当たって、事情を聴き、弁明を聞き、社会の論調を語らせ、政治論議をさせると、男女も、爺さん婆さんも、みなさん、実に立派な意見を開陳される。

メディアによく出ているような、流行りの評論家にも負けないくらいユニークで地に足の着いた、しっかりした意見を述べられる御仁には事欠かない。

◆臨機応変

臨機応変・・・

これは、使いようによってその場に即応した、優れた判断を導くことにもつながる。

風が吹く方に靡く。

風が吹く方に靡くこと。

これは考えようによっては、臨機応変であるとも言える。

「節操がない」、「信念がない」、「主体性がない」という批判は免れないが、他方、壊れない、死なない形だともいえる。

水のごとく、その時の状況に応じて形を容易に姿を変えて、適応する。

おそるべし、「臨機応変」の民、日本。

他方、絶対的な価値を有する国民は、絶対的な価値を構成する一部が壊れると、恐ろしい崩壊の連鎖が始まるのかもしれない。

◆「日本」の地球的な価値

絶対的な価値は持たないが、人付き合いするときの作法は磨かれている日本人。

モノに接するときも同じ。

八百万の神で、そこここに神が潜んでいる。

このため、ヒトも大事にするし、モノも大事にする。

SDGS。この先、これが大事。

サステナブルな環境、サステナブルな地球がとても大事になってきている。

こうした作法がほんとに得意な日本。

エコで、コストが安く、環境への負荷が低い循環型社会生活が昔から得意な日本人。

こうした日本人のDNAが世界の鏡、地球のリーダーにもなれる可能性を秘めている。

やりようによってはの話だが、これからは日本の作法が世界をリード時代が、すぐそこまで来ているように思う。

絶対神無き民、あっちきょろきょろの民が、ここ一番で世界を救うかもしれない。

(学23期kz)

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