山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
学23期 倉田一平(ペンネーム)
大正10年(1921年)生れの親父は、7人兄弟の三男で、当時としてはかかる大家族は決して珍しくはなかったようだ。地元の工業高校を卒業した後、教師の勧めもあり大学入学を希望していた。
早くに父を亡くし女手一つで大家族を支えていた母親は、説得のため来宅した教師に、厳しい家庭の経済事情を説明してあきらめさせたようである。
その後、親父は就職し勤め人となったが、苦労しながらひとりで町工場を立ち上げた。私を含めた4人の子供達には、絶対に大学に行かせるという信念が独り立ちを決意させたらしい。
昭和46年(1971年)春、息子(私)の晴れ姿を見るべく父母が山口大学経済学部学舎(当時は山口市))に来るも、大学紛争真只中で、校舎内は椅子や机でバリケードが張られ、山口大学全体の入学式どころか、経済学部の入学式の行事もなかった。
長期化していた大学紛争が落ち着き、学内に春と平和が訪れ、全学部を挙げての卒業式が8年ぶりに開催されることになった。昭和50年3月のことである。
ゼミ担当教授の鈴木重靖先生からご指名を賜り、同時にゼミの仲間達から応援を頂き、全学部卒業生総代の名誉を私が頂戴することになった。
答辞内容は、すべて自作すべしとのことで荷が重かったが、父のアドバイスで、答辞の出だしを「春風駘蕩、本日の良き日、ご来賓の皆様、ご列席の先生方々…」としたことは、今でも記憶に新しい。
学生運動に塗れた長い月日のトンネルを抜け、数千人の全学部卒業生が一堂に会し、卒業式を迎えたことはよい思い出である。
答辞を読み終えると、対面の中村学長がマイクに入らぬ小さな声で、「おつかれさまでした」と笑顔でお声掛け頂いたのを思い出す。
親父に少しだけ喜んでもらえたかな…、そして、きっと客席で涙を流したかもしれないと想像した (私自身、親父の涙を流す姿は結局生涯みたことがなかった)。
本年3月に行われた山口大学全学部を挙げての卒業式は、経済学部から女性の総代が選出されたと聞き懐かしく、50年前に総代として壇上に立ったのを思い出し、ペンを執った次第。
学23期 倉田一平(ペンネーム)


