「食の履歴書」擬きに挑戦!

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆日経新聞に「食の履歴書」と言う掲載がある。日曜日版の一つの楽しみである。

1956年より連載が始まった「私の履歴書」。その内容は、栄をなし、功をなした人の半自伝記だ。どの方の文章もよく文体が練れられていると感じられる。本人自身が全筆振るわれている方もいるかもしれない。一方、日経側で、一部最終編成、校正をしていることによるのかもしれない。

「私の履歴書」が、少し敷居が高いと感じられる方は、「食の履歴書」は取っ掛かりやすい。

ならば、一介の初老が「食の履歴書」擬きに挑戦することは出来そうだ。早速、やってみよう!

◆80年代初の赴任地は博多であった。多少の偏見はあるかもしれないが、転勤族の人気の高い場所として、札幌、仙台、金沢、新潟、広島、博多がある。

その博多!

九州には後掲の様、老舗の百貨店が各県にある。赴任した博多の天神には岩田屋、呉服町にはエレデ博多寿屋(大型スーパー:旧博多大丸跡利用)があった。

◆自分の社会人としての「食の履歴書」に、次の2行を書き落とすことはできない。

1.事務所のあった呉服町、そこには福岡うどんで有名な”三宅うどん”、その近隣の”ふじまつ”(蕎麦屋)がその最初の行だ。経理の仕事が最初であったが、事務机には電卓と算盤が並んで机の上に準備されていた時代だ。

仕事は全くのデスクワークで、腹は減らない、しかし、何か腹に収めないといけない。毎日毎日、昼食には蕎麦の生活、3年間続いた。昼の定番は「冷たい田舎蕎麦(ぶっかけ)」。

蕎麦を茹でた後、冷水できっちり〆られた冷えた蕎麦に、多量の刻みネギ、もみじおろし、と盛られた良質の鰹節、そして、練わさび。

箸でよそい、一気に器の中をかき混ぜて、口へかき込んで戴くやつだ。

前触れもなく、事務所の職場の先輩が「今日は飲みに行くぞ!」って声がかかった時に備えておくために、昼は軽めが鉄則。(受験時代に例えると寺田文行の数学の鉄則にも通じる(笑))

2.二行目は天神の百貨店岩田屋の別館にあったお鮨屋さんの「鮨活」。実はこれも、「今日は飲みに行くぞ!」の号令で連れて行ってもらった先輩の数々あるお店の中の御贔屓の一つ。

確か9階にあったと思うが、直行のエレベーターに乗り、辿り着くとすぐ横にあった。

カウンター席に座り、つきだしの小鉢をつまんでいるうちに、板長さんに握ってもらうお鮨を選び、注文をする。一端のサラーリーマン体。

「食の博多!」鮮度が良く、ネタも上質な鮨。安いネタは150円くらいからの設定であった。

ちょっと軽く小腹を膨らませて、夜の街に繰り出すにはちょうど良い。

せっかくの良いお店だから、自分自身でも大切にしたお店であった。自分より少し遅れて博多に赴任してきた大学の同期とも先ず歓迎の意味を込めて店を紹介し、利用した。

その後所帯を持つこととなった上さんとも何度となく通った。焙った穴子に煮詰めたツメを塗って、一口で口の中に放り込む。上さんの大好物となった。また、ツメを塗らず、軽く焙り塩を振って戴く白焼きの握りも旨い。

◆岩田屋の当時の勢いは大変なものだった。九州各地に出店。熊本の鶴屋さんとも競争、そして切磋琢磨されていた時期かもしれない。

”今度熊本に出店するんだ”

天神のお店の話で聞いていた話。熊本に行った時、出店されていた「鮨活」にお邪魔した。そこの板長は天神のお店でも板場に立っていた人で、つきだしの一鉢をサービスしてもらった記憶がある。

何年かたって、「鮨活」のあった場所に再来しても、天神には店はなかった。ただ、久留米岩田屋には今も店があるというので、出張と言う機会ではないが、何らか理由をつけて再訪したいものだ。

◆「食の履歴書」にある、一行目の”ふじまつ”(蕎麦屋)は40年前と変わらず昔の所在地に今もある。そして、変わらぬ味の「冷たい田舎蕎麦(ぶっかけ)」がある。

今は年齢も少し大きくなったから、体にも優しい「あったかい田舎蕎麦(ぶっかけ)」でもいいかもしれない。

当時の店の大将が熱心に活躍されていた博多山笠の追い山「東流れの取締役」雰囲気たっぷりの店から少し趣が変わったように感じた。これも筆者自身の加齢がそう感じさせたのかもしれない。

80年代から90年代における九州の老舗の百貨店…

福岡県には、博多に岩田屋、小倉に井筒屋、佐賀県の玉屋、大分県にはトキワデパート、熊本県には鶴屋、長崎県の浜屋、鹿児島県(宮崎県)の山形屋。

筆者が知っている限りの鳳陽会関係者で言うと、会長、社長の重責を歴任されたのは、岩田屋、井筒屋、トキワデパートとなる。他の百貨店でも重責を担われていた方もいた。

(岡山B)

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