山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年11月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんからの投稿
◆東京支部のホームページによると11月23日東京で寮歌祭が催される。
その会に鳳陽会東京支部から多数参加をされるとのこと。
良き伝統、慶事であります。
1950年に旧制高等学校の最後の卒業生を送り出して、75年…の歳月が流れる。
紅顔の美少年といえども、今は90代半ばを超える齢となっている。
岡山には旧制第六高等学校があった関係で、嘗ては、岡山寮歌祭と言う催しが開催されていた。1978年に始まった岡山寮歌祭が過去形になっているのは2017年の第38回大会をもって一旦区切りをつけているからである。
◆当時の大会委員長をされていた方も旧制第六高等学校卒業のその時91歳とのご高齢であった。しかし、ご挨拶、取り仕切り、壇上でのご活躍ぶり、心意気は将に”青春真っただ中”にいらっしゃった。
(旧制六高所在地は今は県立岡山朝日高等学校として利用されており、数軒の
当時の建物が残されている)
◆ 岡山支部も長らく参加をしていた。支部総会参加のメンバーと重なることは多かった。
若き日、鳳陽寮で朝夕を過ごされた先輩方は各人がその一人、いつも万感の思いをもって集まられ、「花なき山・・・」「山都逍遥歌」を、肩を組み、歌われた。
そして、既に鳳陽寮の存在がなかった後継世代もその鳳波の輪の中に包まれて、楽しんだ。(鳳陽寮は大学22期位までの人が入寮していた)
◆私が参加している頃、マイクを持ち、指揮をとられるのは、寮の給仕係をされていた先輩。勿論、大学での勉学にも励まれ、勤しまれたことであろう。
しかし、その方が熱く語るのは、寮の給仕係をすることによって、社会人になって必要なことはほぼ学ぶことが出来たという。
給仕さん雇用の問題、献立メニュー、大まかな仕入れ販売計画、その日その日で余った食材の完全消化の為の施策。
所謂企業の役割で言うと、労務総務担当であったり、ロジ担であったり、営業であったりする。共同生活者である寮生の為に、給仕係の役割を果たすことが、社会人になっての経験に直結するものであったとも語られる。
各地の寮歌祭に参加をされていた別の先輩の方は、1894年に始まった旧制高校(ナンバースクール、ネームスクール)のOBの方々と実に昵懇なのである。
岡山での寮歌祭での互いの再会、健康を喜ぶ一方で、次の会場となる寮歌祭での再会を約しているのである。
(蛇足)80年代湯田温泉駅裏にあった民間の寮に入寮した。その寮で、寮生お揃いのスエットシャツを作成した。その背中には、寮の英字名+”FAMILY”の名前が入っていた。同じ釜の飯を食い、同じ風呂に入り、一つ屋根のもとで生活する家族だったのだ。)
◆官立山口高等商業学校として参加している我々は、校名入りののぼり旗を持ち、カンカン帽に、オレンジの襟の部分に鳳陽会の名入り、薄水色のお揃いの法被のいでたち。
お酒の勢いは勿論あるが、少しお洒落で、あくまである意味紳士の姿だ。
(このいでたちが準備できているのは東京支部の調達先の紹介があったと聞いている)
一方、ナンバースクール(旧制一高から八高)、ネームスクール(地域名が付いた旧制高校)の旧制高校の方は、素足で高下駄、学生服を着、紋付羽織袴で登壇する。その上、弊衣破帽、言葉に語弊がなければ、わざと汚れたもの、破れたもの、傷んだものを嬉々として身にまとっている。
北は北大予科、南は七高造士館、海外からも旅順工科予科だ、台北高だと現地 での 旧制予科、高等学校の参加もあった。また、軍関係で陸士学校、海兵学校等々。
◆各寮歌祭で締めに近い部分で一同会して歌う、旧制第三高等学校寮歌「琵琶湖周遊の唄」になると、学校の垣根を超え、みんなで「舟」を漕ぐ。
ステージ近くに集まり、仮想の世界で、船艇に乗り込み、腰を床につけ、恰もオールを握った如く、歌に合わせ「舟」を漕ぐのである。そこにはある文化がある。
冒頭記載のよう、当時若くして85歳を超え、オールドボーイ(メッチェン同伴の方も)が心を一つにして、「舟」を漕ぐのである。
上記のような意義、このひと時の楽しみが待っている寮歌祭が盛会裏に開催され、また継続されんことを願う。
そして、後継校(後継学部)の現世代に引き継がれ、良き伝統が守られんことを!
(岡山B)


