山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年1月 トピックス】
◆明治天皇を記念するもの・・・東京での造営・・・
この動きを推し進めたのは、すでに述べたように、渋沢栄一、東京市長の阪谷芳郎、日本橋区会議長の柿沼谷蔵、東京商業会議所会頭の中野武営たちだ。
ここをもう少し詳しく見てみよう。
◆明治天皇の崩御が明治45(1912)年7月30日だった。
いち早くアクションを起こしたのが7月に市長になったばかりの阪谷芳郎・東京市長だ。
阪谷芳郎(さかたによしろう)
備中(岡山)出身。
大蔵省入省、主計局長から大蔵次官へ。
退官後まもなく政界に転じ、第一次西園寺内閣で大蔵大臣に就任。
明治45(1912)年7月に東京市長になった人物だ。
渋沢栄一の次女を娶ったことは既述したとおり。
◆関東の候補地
明治天皇を記念する造営物をどこに建てるか。
全国から候補地の名前が挙がっていく。
東京では代々木御料地、青山練兵場のほかに都心では陸軍戸山学校敷地、駿河台、目白台、小石川植物園、芝三光坂付近、都下では井の頭公園、多摩川上流、御嶽山(青梅)など多くの候補地が挙がった。
他方、東京の近隣県では埼玉では大宮、朝日山など4か所、茨城が筑波山など2か所、神奈川が横浜、箱根の2か所、千葉が国府台、静岡が富士山など、候補地が少なかった。
このため、関東に造るなら東京、明治天皇の住まいのあった東京ということになっていった。
また、なぜ東京・青山か。
青山の練兵場であり、大喪の会場となったところで、大喪の会場の保存も兼ねてそのまま神社にしようというものだった。
そして早くも崩御(明治45年7月30日)の2週間後、8月12日には東京商用会議所で造営の骨格を決めている。
・内苑は代々木御料地で国費、外苑は青山練兵場で、献金で賄う
・外苑には記念の諸施設を建造
伊勢神宮に匹敵するような「雄大、荘厳」のような施設がイメージされていた。
(学23期kz)

